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美容初心者おじさんがつけている美容ノートと”私だけの赤ペン先生”

 美容ノートを書く上で、何より大切なのが日々の記録である。朝は何時に起きて、昼に何を食べ、夜にどんなスキンケアをしたのか。睡眠時間や食事の献立、自分の体の変化、新しく試してみた美容法についてノートに細かく記録しておく。
 家計簿をつけることで、お金の流れが掴めるのと同じように、文字に起こすことで自分の生活スタイル、改善点などが如実に浮かび上がってくる。

 そういえば、死んだ祖父も同じようなことをしていた。たちの悪い心臓病を患い、自分に残された時間は少ないことを悟ってから、祖父はその日あったことを事細かに手帳に書き記すようになった。朝は何時に起きて薬を何錠飲んで、夜は痰がつまって辛かったとか、とにかく暗い内容ばかりを書いていたけれど。寝たきりになってからは、わずかな力を振り絞り、亡くなる日の朝まで体温だけをメモしていた。

「1994年6月5日(日) 35.4℃」
「1994年6月6日(月) 35.5℃」
「1994年6月7日(火) 35.4℃」

 こんな体温の表記だけでも、晩年の祖父の一日を想像することができて、思わず目頭が熱くなる。やっていることはかなり違うが、祖父と同じように私も自分の生活を文字で記録するようになったんだな。ちょっと大人になった気分だ。

 そんなある日のこと、「ね? あなたの美容ノート見せて。私からのアドバイス書いてあげる。一応あんたの美容の師匠だしね」と、同棲中の彼女が私の手から美容ノートを取り上げる。フンフンフン~♪と鼻歌まじりに、赤のボールペンを走らせる彼女を見て、不意に赤ペン先生を思い出す。
 かつて受講していた人も多いであろう進研ゼミの通信教材で、子供たちが郵送で提出する課題テストを添削してくれる先生の愛称、それが赤ペン先生だ。
 見惚れてしまうほどに綺麗な赤文字、正解した問題には大袈裟な花丸を、間違った問題にはただバツをつけるのではなく、可愛いイラストでの説明や激励の言葉を添えてくれ、勉強へのやる気がなくならないように配慮した丁寧な添削をしてくれる赤ペン先生。
 答案には通信欄というものがあり、赤ペン先生とちょっとしたメッセージのやりとりを楽しめるようになっている。
 ひねくれたガキだった私は、赤ペン先生が答えにくそうな政治の話題を振ったり、解読不明の象形文字を書いたり、通信欄のサイズぴったりに合わせて切った味付け海苔を貼り付けて送るといったトリッキーなことまでして、とにかく赤ペン先生を困らせていた。
 どんなことをしても決して怒らず、「もったいなくて食べられないので海苔の香りだけ楽しませてもらいました」と、常に優しい言葉を返してくれる赤ペン先生に、私は母親がいない寂しさをぶつけていた。

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爪切男

つめ・きりお●作家。1979年生まれ、香川県出身。
2018年『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)にてデビュー。同作が賀来賢人主演でドラマ化されるなど話題を集める。21年2月から『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、『働きアリに花束を』(扶桑社)、『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)とデビュー2作目から3社横断3か月連続刊行され話題に。
最新エッセイ『きょうも延長ナリ』(扶桑社)発売中!

公式ツイッター@tsumekiriman
(撮影/江森丈晃)

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