よみタイ

駄菓子の話ができない

 それでもたまに、駄菓子屋で駄菓子を買いたくなり、台所で晩御飯の用意をしている母親の背中に向かって、
「今日は○○さんと△△さんと遊んだ後、駄菓子屋に行くっていうからついていったの。二人とも二個ずつお菓子を買ってた」
 と話すと、彼女はこちらに背を向けたまま、
「ふーん、そう」
 といって終わりだった。
 しかし親も多少びんに思ったのか、たまに、
「欲しい駄菓子があるのだったら、一緒に行って買ってあげる」
 といわれたものの、駄菓子屋は友だちと一緒にわいわいいいながら行くから楽しいのであって、親と行っても楽しくない。そういうところが親はわかっていないと、私は不満だった。
 

 駄菓子屋で売っているもののなかには、スーパーマーケットや菓子店で売られているものもあり、買い物についていったときには、それを買ってもらった。必ず買ってもらったのは、大好きな「ココアシガレット」。四粒入りの「オレンジマーブルフーセンガム」、赤と白の明治の「サイコロキャラメル」。赤、緑、黄色の鮮やかな色のセロファンで包まれた、タブレット状のラムネ菓子。どういうパッケージかは忘れたが、ピンク色の、平べったい消しゴムのようなフーセンガム。「カルミン」「パラソルチョコレート」や「コインチョコレート」もよく買ってもらった。駄菓子ではないが、「サクマ式ドロップス」も好きだった。特にハッカ味は最後まで残して大事に食べていた。私は好きではなかったが、母親が必ず「中野の都こんぶ」を買っていたのを思い出す。
 だいたい今のように、いつでもケーキが食べられるような環境ではなく、御祝のときくらいしかケーキも食べられなかった。お菓子も毎日、食べるわけではなく、
「何かお菓子を食べたい」
 と母親に訴えると、口の中に先ほどの都こんぶや、あぶったするめを突っ込まれた。それしかないのでそれをしゃぶっているしかなかったのである。そこに、日々、小銭で買える駄菓子があれば、そんな訴えをしなくても済んだだろうが、親の管理下にいた時代なので、それも仕方がない。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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