2023.11.24
太陽とオーロラの関係性を探る! 鎌倉時代の京都に輝くオーロラが現代の天文学に与えた影響
独立行政法人理化学研究所、NASAの研究員として研究に携わった経験と、天文学分野で博士号を取得した知見を活かし、最新の宇宙トピックを「酒のつまみの話」になるくらい親しみやすく解説。宇宙と同じくらいお酒も愛する佐々木さんが、記事にあわせておすすめの一杯もピックアップします。
連載第2回目は、いつかは肉眼でみてみたい「オーロラ」について。
かの有名な歌人の日記にも記されていたオーロラは、現代の私たちがイメージする美しい姿とは、少し様子が違ったようで……。
1日の終わりに、リラックスしながら夜空のその先の世界へ思いをはせてください。
第2回「歴史上のオーロラの記録と太陽」のはなし
目撃したら記録せずにはいられない!? 歴史上の文献に残るオーロラの姿
神秘的な現象の象徴とも言えるオーロラは、宇宙のイベントです。実はオーロラは太陽の影響によって発生していて、その観測の歴史はかなり古い。なんと紀元前の粘土板や、鎌倉時代の書物に京都でオーロラ見えたという記録が残っています。そしてその歴史を紐解くことは、私たちの生活を支えている太陽の歴史を明らかにすることに繋がります。
オーロラの発生メカニズムをすごくシンプルに捉えると、太陽からの放射物「太陽風」が地球に届き、そのエネルギーが地球の大気と衝突して発生する、という説明になります。この太陽風は、太陽活動の規模によって変化します。太陽の活動が活発になると、太陽風が強まり放出頻度も多くなる。すると、オーロラも大きく頻繁に発生し、逆に活動性が落ちるとオーロラもなかなか見えなくなります。
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一般的にオーロラは、地球の磁場の影響から北極圏や南極圏で観測されることが多いのですが、太陽の活動性が高まった時には、極地から離れた場所で観測されることもあります。1204年に京都でオーロラが見えたのはその一例で、その証拠は日記の中に隠されていました。
記録が残っているのは、鎌倉時代の公家である藤原定家(1162-1241年)が残した『明月記』。この書物は彼が19歳のころから記述していた日記ですが、この中で、1204年2月21日と23日、京都でオーロラが見えたと書かれています。1日だけでなく、1週間のうちに複数回京都のような緯度の低い地域で長引く赤いオーロラが観測されていたのです。
このオーロラの発生を裏付ける、太陽活動の証拠が中国の歴史書からも発見されています。その歴史書が『宋史』。この中で明月記でオーロラが発見された2月21日に、太陽を観測した結果が記述されていて、そこではオーロラに関連する太陽の活動性を示す指標となる「黒点」が存在していることが指摘されています。このことからも、京都で藤原定家が見たものはやはりオーロラだったと考えられるようになりました。
私たちにとっては、オーロラは神秘的なものという認識があるため、ワクワクするイベントのように思えます。しかし、当時の人々にとっては、恐ろしい出来事に見えたようです。実際に藤原定家は書物の中に、「光が少しもかげることのないまま、このような白光と赤光とが入り混じっている。不思議なことだ。恐ろしい、恐ろしい」(『光聊かも陰らざるの中に、此の如き白光赤光、相交はる。奇して尚奇すべし。恐るべし。恐るべし。』/『訓読明月記 第二巻』今川文雄訳 河出書房新社)と書いていました。たしかに、何も知らずに夜空が赤く輝き出す様子を目撃したら、不吉に思うかもしないですね。
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