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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。
中村憲剛選手田臥勇太選手館山昌平投手大黒将志選手玉田圭司選手木村昇吾選手和田毅投手に続く、8人目のアスリートは、水泳、飛び込みで東京オリンピックに出場する寺内健選手。
初回は、わずか1.6秒の戦いに込める深い想いについてお伝えしました。2回目は、小5からずっと師事する馬淵コーチとの秘話やサラリーマン生活を経て変化したことついて――

4大会連続の五輪後、サラリーマンに。飛び込み・寺内健が2年間のブランクが近道だったと感じる理由とは?

ふとした笑顔も魅力的。撮影は、愛する地元の由緒あるホテル「宝塚ホテル」にて。(撮影/熊谷貫)
ふとした笑顔も魅力的。撮影は、愛する地元の由緒あるホテル「宝塚ホテル」にて。(撮影/熊谷貫)

サラリーマン生活の充実した日々で、組織で仕事をする難しさと楽しさを知った。

ちょっとした遠回り。

飛び込み界の第一人者である寺内健は4大会連続のオリンピック出場となった2008年の北京を最後に一度引退を表明している。大手スポーツメーカーに就職し、サラリーマンになる道を選んだのだ。
社会に出てバリバリ働きたい、とずっと考えていた。28歳になってこのタイミングを逃がしたら“転身”は難しくなってしまう。

「1年のほとんどを競技に費やす生活をずっと送ってきました。どうしても一般社会で生きている感じがしなくて、一緒に練習をしていた仲間たちが次々、社会に出て働いていることに憧れもあって……。一般社会を知らないことはコンプレックスに近かったし、生産していく社会の一員になりたいと思ってサラリーマンになろう、と」

新鮮な毎日だった。
デスクワークはもちろんのこと、競技に関わる企画や営業に携わった。覚えること、勉強しなきゃいけないことはヤマほどあった。だが「スポーツのように目標を設定して知識と情熱を持って取り組んでいく」ことで「やっていけるな」という実感を持てた。

競技は自分にフォーカスすれば良かったものの、サラリーマン業は組織に目を向けなければならない。チームプレー、チームビルディングとは何かを学び、組織で仕事をこなしていく楽しさも難しさも実感していく。気がつけばあれだけ毎日やっていた飛び込みにも目を向けなくなり、スポーツで体を動かすことも少なくなっていた。

「仕事の付き合いで酒席に顔を出したりもしていたので、食べ物とかも特に気をつけなかったですね。ただ、スポーツメーカーだったので食堂のランチはヘルシーなメニューが多かった。イベントで水着にならなきゃいけないときは、少し前からちょっと気にするくらいでした」

競技を離れて1年半が経っていた。

イベントに参加して久しぶりに飛び込み競技をやったときに、ちょっとした驚きを感じた。予想以上に体が動き、「体をつくり上げていったらもっと良くなるかも」という思いが生まれたのだ。仕事で出向いた2010年4月の日本選手権では友人の北島康介に声を掛けられた。

「戻ってこないの? 一緒にやろうよ」

グサリと胸に刺さるのが分かった。自分で引退を決め、「骨を埋める気」で入社した気持ちに偽りはなかった。だが心のなかに何かがうごめいていた。

悩んだ。ずっと悩み続けた。うごめいていたのは、復帰への思いだとはっきりと認識したとき、その複雑な感情を上司や同僚に打ち明けることにした。

「そう思ったら、競技をやるべきだ」「いや、仕事を続けたほうがいい」

いろんな言葉をもらった。真剣なアドバイスをもらえたことが何よりもうれしかった。あとは自分で決めるしかなかった。時間が経ち、「一歩引いて」飛び込み競技を見ていくうちに、やり切ったと思っていた感情に変化が生じていた。

「辞める前に感じていた競技に向ける100の大きさと、そのとき感じた100の大きさがそもそも違っていたように思いました。簡単に言えば、北京オリンピックまでの100ってそもそもそんなに大きくなかったんじゃないか。今、見えている100を埋めていけばもっと大きなものになるんじゃないのか、と。10年後に決断しても遅い。今なら間に合うかもしれないって」

膨らむ復帰への思いを、もはや抑えることはできなくなっていた。決断を尊重してくれた会社には感謝しかなかった。2010年8月、彼は現役復帰を正式に表明した。12年のロンドンオリンピックが目標となった。

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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