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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。サッカー中村憲剛選手、バスケットボール田臥勇太選手に続く、3人目のアスリートは、東京ヤクルトスワローズの館山昌平投手。初回は日大藤沢高校に進学するまで、2回目は怪物、松坂大輔との対決についてお届けしました。3回目の今回は、サイドスローに転向を決めた裏にあった館山選手らしいエピソードです。

ふたつのプランを準備し上司を納得させた、館山昌平のサイドスロー転向!

館山選手といえば、このサイドスローの印象を持つ人も多いだろうが、プロ入りまではオーバースローだった。(撮影/熊谷貫)
館山選手といえば、このサイドスローの印象を持つ人も多いだろうが、プロ入りまではオーバースローだった。(撮影/熊谷貫)

日大時代の経験が、プロ1年目のサイドスロー転向の力になった。

「決断」を国語辞典で引くと「きっぱりと決めること」とある。
周りが、ではなく、自分で。
館山昌平は人生の岐路に立つと誰かの意思に左右されることなく、自らの意志でまさに「きっぱりと」決めてきた。日大藤沢への進学もそう。そしてこのときも――

日大を経て2002年ドラフトで東京ヤクルトスワローズから3位指名を受けて入団した館山はルーキーイヤーにオーバースローからサイドスローに投げ方を変えている。

誰かに助言されて、ではなく、自分で考えて、試して、決断した。
想像していただきたい。ルーキーの館山をまだ何も成果を上げていない新入社員に例えてみる。「自分はこうやったほうが成果を上げられると思うんです」と猛烈に主張したところで上司から「いやいや俺の言うとおりにやってみろ」と突っぱねられることのほうが“よくあるケース”だろう。だが館山は直属の上司である投手コーチを納得させて、サイドスロー転向を成し遂げている。

このストーリーの“大いなる序章”として、日大時代を押さえておく必要がある。

センバツでベスト4の実績を引っさげて入部したとはいえ、2年生の春までは出番も少なかった。転機になったのは、先発のチャンスが回ってくるようになったその秋。日大の投手陣には、あるルールがあった。試合で誰かがフォアボールを1個出すと、投手陣全員にPP(レフトとライトのポール間を走る)10本が課せられていた。

ある試合で、3ボールとなりフォアボールが頭をよぎった。1個出してしまうと、チームメイトに迷惑を掛けてしまう。そこで館山は「ボールを置きにいった」。すると初めて得られた感覚に衝撃が体のなかを走った。
えっ?

「置きにいったら体のすべてが連動して、すごくいいボールが投げられたんです。ベンチもスタンドもざわついていました。部の決まりでスピードガンは見ちゃいけないことになっていたので、一瞬チラリと見たら146kmでした。今まで目いっぱいの力で投げて最高142㎞しか出なかったのに。あっ、この感覚だなと思ってもう1度置きにいったら147km。次も同じように投げて、同じようにスピードが出たことで自分のなかで確信になりました。腕を振り抜く、振り抜けるという感覚ですね。力むことなく連動性を求めていくことで、スピードもコントロールも良くなっていきました」

館山はその後エースにのぼりつめ、3年生の東都春季リーグで32年ぶりの優勝をもたらす原動力となる。

自分にとって最良の投げ方とは――。高校時代からいろんなピッチャーを参考にし、自分の投球に取り入れてきた。それがいつも頭にあるからこそ、得られた一回の感覚を偶然にせず、自分の頭と体に一瞬で落とし込むことができたのかもしれない。

大学時代のもう1つ大きな経験が、4年時に施した右肩の手術だった。プロ入りを目指す館山にとってはショックであったことは間違いないものの、雌伏の時間が非常に有意義なものになったという。

「学生コーチになって、練習メニューをつくることもやりました。鈴木(博識)監督からも、投げられない分、外からチームの力になりなさい、とも言われていましたから」

館山はコーチ目線、選手目線の両方で考え、メリハリをつけたほうがいいとも感じた。チームの疲労が溜まっているときにこの練習は軽めにしておいたほうがいいなと思っても、そのまま監督、コーチに進言したところで却下されるだけ。

「『ここで(強度を)下げて、違うこの練習で上げることを考えています』と強弱の両方を一緒にして提案することでOKが出ました。僕にとってはすごくいい時間になりました。自分の練習もどうやっていけばいいのかも、段々と分かってきた感覚がありましたね」

なかなかのネゴシエーター(交渉人)ぶりである。両者の目線に立ち、落としどころを探りながら最良の策を講じて、監督、コーチも納得させたのだ。

(次ページに続く)

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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