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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」
不惑が間近に迫る年齢になりつつも、変わらず戦い続ける1980年生まれのアスリートたちに、スポーツライター二宮寿朗氏が迫るこの連載。
中村憲剛選手田臥勇太選手館山昌平投手大黒将志選手に続く5人目のアスリートは、V・ファーレン長崎の玉田圭司選手。初回は、J1復帰を目指して戦う長崎で奮闘する姿や今の哲学を中心にお届けしました。今回は幼少時代から高校時代について――

長崎FW玉田圭司が今も忘れない高校恩師の言葉。「今、泣かなくていい。まだ先がある。そこで頑張れ!」

いたずら好きで負けず嫌いのやんちゃ少年。その面影はいまもこの笑顔にどこか残っている。(撮影/熊谷貫)
いたずら好きで負けず嫌いのやんちゃ少年。その面影はいまもこの笑顔にどこか残っている。(撮影/熊谷貫)

ジェフのセレクションに1次落ち。その経験が負けじ魂に火をつけた。

玉田圭司は、小さいころから負けず嫌いだった。
アスリートの大部分はそうであるとしても、彼の場合は「大の」が前につくだけでは物足りない。「大の、大の」くらいは、あったほうがいい。
5つ年上の兄との、それを示すエピソードがある。

「僕が小学生のときにお兄ちゃんといつもファミコンやっていたんですよ。絶対に負けたくない。サッカーのゲームでも自分が勝つまでやって、勝つことができたらそのまま寝るっていうパターンでした(笑)。本当に優しい兄でした。今も優しいですけど」

遊びでも、兄の影響で始めたサッカーでも。

「千葉で育って、親は野球をやらせたかったみたいなんですよ。でも兄が入っていたサッカーチームで、幼稚園からやらせてもらって。本当は小学生になってからしかダメなんですけど、兄がうまかったおかげで『やっていいよ』って言われて。遠慮みたいなものもなかったと思うし、とにかく負けることが嫌でしたね。何をやるにしても勝たないと納得できない子供でした」

フォワードは性格にも合った。「いたずら好きで親が学校に呼び出されたこともあるほど」のやんちゃ少年。ありったけの元気を、サッカーにぶつけた。

中学に上がる際にジェフユナイテッド市原ジュニアユースのセレクションを受けている。だが1次で落ちてしまう。

負けじ魂に火がついた。

中学時代は市川にあるカネヅカSCに通い、ますますサッカーにのめり込むようになる。ここで今のベースとなるテクニックが磨かれた。

「畑が広がっているなかにグラウンドがあって、コート半面もないスペースで4対4とか5対5ばっかりやるんです。そうするとボールに触る回数も自然と増えるし、段々うまくなっているなっていう実感も持てました」

ジェフの試合を見に、スタジアムにも足を運んだという。お気に入りは10番のピエール・リトバルスキー。テクニックのある選手が好きだった。

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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