2020.5.18
第4回 豆のうた
子どもを産むなら五月。
誰が言い出したかは知らないけれど、五月の出産を目指して妊活に精を出すカップルがいるということを知ったのは、三十代半ばに入り、SNSの妊活アカウントを覗くようになってからだ。
いざ自分が親になってみると、なるほどその説にはうなずける点もある。
まず、育てやすい季節であること。穏やかな気候が多く、風邪をひく心配が少ないし、夏を迎えて首が据わる頃にはオムツ一枚で遊ばせてもいいだろう。それに、働く親の事情も大きい。五月の出産であれば、翌年の三月いっぱいまで育休を取得することができる。
では種まきはいつ──ということになるが、そう都合よく運ぶとはかぎらない。
寒い季節にまいた種が、春に収穫を迎えるのが豆類だ。
グリーンピースのさやの合わせ目に親指を差し込めば、硬い豆が指先にコロコロとぶつかり、用意したボウルにほとばしって木琴のような音を立てる。
豆に触れると──特に五月は──私はいつも胎嚢とそのなかで育つ胎児を思い浮かべる。子どもにそら豆をむくのを手伝わせたとき、真っ白なワタを「豆がおふとんに寝てる」と表現して驚いたことがあった。その通り、豆は母体に守られ、寒さを耐えて産み落とされるのだ。
その命が、都会ではパック入りの身軽さで売られている。
春の豆はにぎやかだ。三月のグリーンピースを皮切りに、スナップエンドウ、そして絹さや、そら豆へ。スーパーの一角が見事な青で埋め尽くされる季節はほかにない。
茹でただけで最高に決まっているけれど、ここはひとつ、絹さや、グリーンピース、スナップエンドウの三種類をバターを使ったごちそうにする。
グリーンピースはさやから出し、スナップエンドウと絹さやは筋を取る。その間に鍋に水を張って火にかけ、沸きそうになる前に火を弱めて豆を入れる。下茹では一分。お風呂で豆の肌をほぐすようなイメージだ。ざるに引きあげたら、水にはさらさず休ませておく。この間にも豆には火が通り続ける。
本番はここから。あるとき、下茹での湯をシンクに流したあと、湯気にのって立ちのぼる香りに誘われ、ふと、鍋に顔を突っ込んでみたことがある。鍋肌にはまだしっかり香りが残っていた。豆がもつ、くすぐったいような丸い匂いを再び豆に移せるような気がして、あえて鍋は洗わず、豆を戻して中火にかけ、塩とバター、水をほんの少しだけ加えてふたをした。
鍋のなかでは蒸気が香りを運び、バターの薄い膜が豆を包む。一分蒸らせばできあがり。茹で一分、蒸し一分。たった二分で完成だ。
家族を呼ぶ間さえ惜しい。時間が経つと温かい香りがどんどん閉じてしまうから、作ったらすぐ食べる。これが一番のコツ。豆類は鮮度が命を言い訳に、私は深夜こっそり作っては、何度かは立ったままスプーンで贅沢にかき込んだ。
グリーンピースからはじまった緑の横断幕は、さやいんげんへと続き、盛夏、枝豆の登場でひとつめのクライマックスを迎える。