季節のものは、売り場でも目立つ場所に置かれ、手に入れやすい価格なのもうれしいところ。
Twitter「きょうの140字ごはん」、ロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』で、日々の献立に悩む人びとを救い続ける寿木けいさん。
幼い頃から現在に至るまでの食の記憶をめぐるエッセイと、簡単で美味しくできる野菜料理のレシピを紹介します。
自宅での食事作りを楽しむためのヒントがここに!
2020.5.4
第3回 緑を探すひと

娘が産まれた六年前の春、富山の母が助っ人として上京してきてくれたことがあった。
五十時間を超える難産の末、待ったなしで子育てに突入した私は、気力も体力も底をつき、一日を無事に終えるのがやっとだった。
「お義母さんに助けてもらわないと、心配で会社に行けない」
夫からのSOSにより、母に一週間だけ来てもらうことになったのだ。
午前中の新幹線でやってきた母は、ソファでひと息つくかと思いきや「あっ」と小さく声をあげ、リビングを横切りずんずん庭へ入っていった。なにをしているのだろうと目を凝らすと、しゃがみこんで紐のようなものを引っ張っている。しばらくして、ゆさゆさ揺れる草を両手に抱えて戻ってくる姿に驚き、私は急須をざるに持ち替えて母にかけ寄った。
ざるに受けたとたん、柔らかくしなったニラの懐かしい青臭さが、風にのって鼻を突いた。
恥ずかしながら、私は庭に密生しているそれがニラとは知らなかった。育てたのは夫で、摘んだのは母。田舎のひとの目はどこにいても、食べられる緑を探す。それが娘たちの庭となるとなおさらだ。
どちらからともなく、ニラのお焼きで昼ごはんにしようということになった。
刃をあてればパキンと音が鳴るくらい新鮮なニラを刻み、卵と塩、醤油をたらしてかき混ぜる。そこに長ねぎを加えるのは私のアイディア。同科の野菜同士を合わせると、例えばスカートに裏地を縫いつけるように、素材の持ち味が補強される。春のニラならではの、やさしく、ともするとぼんやりしがちな味わいが、長ねぎを下支えにして鮮やかに立ち上がってくるのだ。
ニラと長ねぎから水分が出てくるから、水は必要ない。薄力粉を加えて混ぜ合わせ、あとは油を熱したフライパンに流し入れて両面を焼く。甘い香りが部屋いっぱいにふくらんだら、中まで火が通った合図だ。
生地に包まれたニラの香りは、噛むことで熱にのって再び溢れ出す。飾り気のない味わいが、からっぽになった産後の体に染み渡り、私はこの日を境に少しずつ生気を取り戻していった。
母と並んで台所に立ったとき、私の心にあったのは、一緒に暮らすことは二度とないだろうという諦観だった。母の庇護からも故郷からも抜け出し、経済的に自立していた私は、次の世代を産むことで初めて生物学的にも母に並んだのである。
明日富山に帰るという夜、私を産んだときのことを母から初めて聞いた。
「妊娠がわかったとき、うれしくなかった」
なんせ女の子がもう四人もいたのだ。
「でも」
「でも?」
「産まれてみたら、すごくかわいかった」
こういう母の正直さに、私はもう驚かない。思えば、母から愚痴や恨みごとを聞かされた記憶がない。その愚鈍な生活力と太さを、思春期の頃は疎ましく思ったこともあったけれど、今ならわかる。母のように生きなければ、ひとりで五人の子を育てることはできなかったのだ。
その母にあって私にないものを思う。戦後の記憶。今はなき畑。三十周年を迎える自分の店。五人の娘。そのうちのひとりを早くに亡くした苦しみ。七人の孫。赤い軽四。
私にあって母にないものを思う。地下鉄で通勤する朝。ビュリーの香水。ペンネーム。マティーニのためのグラス。自分だけの本棚。小さな男の子。
ふたりが持っているもの。田んぼ、畑、水の記憶。B型の血液。女であること、母であること。そして、それらが並大抵では務まらないという静かな哀しみ。
あれから六年が経ち、富山を訪ねることも、遊びに来てもらうことも許されない日常を誰が想像できただろう。