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酒井順子「言葉のあとさき」
時代が変われば言葉も変わる。
そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。
かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。
言葉の変遷を辿れば、日本人の意識の変遷もおのずと見えてくる。
近代史、古文に精通する酒井順子氏の変化球的日本語分析。

コロナとの「戦い」

言葉のあとさき 第6回

 2020年3月半ば。安倍首相は、
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形で東京オリンピックを開催する」
 などと言っていたのですが、あの頃の首相は本当に「他の国のことはさておき、我が国はウイルスを制圧してオリンピックを開催する」と、思っていたのか。それとも第二次世界大戦中、敗戦の気配が濃厚であったのに国民には嘘の戦況を伝えていた時のように、「ま、多分オリンピックなんて無理だけど、今はこう言わざるを得ないよね」という気分の中での発言だったのか。
 おそらく後者なのだとは思いますが、事実、同月末にはオリンピックの延期が決定。感染者が増えていく中で首相は、
「恐ろしい敵と、不屈の覚悟で戦い抜かなければならない」
「長期戦を覚悟する必要がある」
 と、戦闘モードを強めました。もうオリンピックは延期されたので、安心して「長期戦」と言うことができるようになったのです。
 新型ウイルスの蔓延を止める、ということを戦争に喩える首相に対して、
「ウイルスと人類は共存していかなくてはならないというのに『戦う』だの『勝つ』だのと言うのはナンセンス」
 という批判もありましたが、しかし、
「うまいこと新型コロナウイルスと共存してまいりましょう」
 などと首相が言っていたのでは、国民に危機感は伝わりません。「あなた自身の命の危険もおおいにある、危険な状態なのですよ」と国民に知らしめるためには、戦いに喩えるのが最も手っ取り早い手段であり、コロナは「戦う」相手、との認識は世界中に広がっています。
 アメリカのトランプ大統領も、いち早く「これは戦争だ!」と語り、「戦時下の大統領」と自称しました。イギリスのエリザベス女王も、
「私達はウイルスとの戦いに勝つ」
 と述べていましたし、その後もイースターのスピーチで、
「私達がウイルスとの戦いに負けることはない」
 と語っています。
 宣戦布告は、下っ端ができるものではありません。ですから「これは戦争だ」的な発言は、国のトップが語ってこそ意味があります。
 トランプ大統領などは元々が好戦的な性格であり、「戦時下の大統領」になって生き生きしているようにも見受けられます。そういえば同じ共和党のジョージ・ブッシュ元大統領も、2001年のアメリカ同時多発テロの時に、
「これは戦争だ!」
と言っていました。あの時は、ウサーマ・ビン・ラーディンやタリバーンという目に見える敵が存在したため、アメリカ国民の愛国心は熱くたぎっていたものです。戦時下の大統領になれば、戦争に勝利した大統領になる可能性も見えるわけで、ブッシュはその事実に興奮しているようにも見えました。
 エリザベス女王もまた、「戦い」という言葉が似合います。女王は、第二次世界大戦中に既に子供ではありませんでした。女性国防軍に所属して軍服を身につけていたのであり、戦争をリアルに知っています。ジョンソン首相やチャールズ皇太子がコロナに感染したということもありますが、イギリス国民は「女王が言うならば」と、家の中にじっとしている覚悟を決めたのではないか。
 ドイツのメルケル首相は、コロナ問題に関するスピーチで、
「第二次世界大戦以来、これほど一致団結した行動が求められる試練に直面したことはない」
 といったことを述べていますが、「これは戦争だ」とか「戦おう」といった言葉は避けています。やはりドイツでは今も、戦争を思い起こさせるのはまずい、との意識があるのかもしれず、「団結」は強く求めたものの、それを「戦い」には仮託しなかったのです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』など多数。

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