2020.4.20
第2回 小さなナポリ、大きなトマト
田園都市線に揺られて多摩川を渡った先の小さな町に、こぢんまりとしたレストランがある。3年前、そのレストランで私はあるアーティストにインタビューをした。
長いインタビューだった。レストランは彼女のお気に入りで、「ナポリにいるみたいでしょう」と宝物を見せるように案内してくれた。
店内はすべてが心地よく使い込まれていて、強い日差しがカーテンの隙間から差し込み、そのぶん影はとことん暗く、あまりに有名なその人を外の好奇の目から隠していた。結局、撮影と食事とを合わせて半日を彼女と過ごし、その仕事が編集者としての私の最後のインタビューになった。
そんな懐かしい店を、先日再び訪れた。一緒に向かったのは、仕事仲間で編集者のタナカさん。
きっかけは、友人が送ってくれた一枚の写真だった。
〈これってけいさんが働いていた頃じゃない?〉
というメッセージとともに貼付された写真には、何年も前に私が担当したページが写っていた。その特集が、あるウェブサイトで「マイ ベスト マガジン」に選ばれていることを報せてくれたのだった。
胸をぎゅっとつかまれる懐かしさと同時に、後ろめたさもあった。長年勤めた出版社を辞めたあと、私は自分が関わってきた雑誌を一度も開くことはなかった。整理しなくてはと思うものの、つい後回しにして、段ボールに押し込めているという体たらくだったのだ。
友人のメールは、私を一気に過去に連れて行った。
私は書斎にあがり、雑誌を引っぱり出してページをめくった。ふと、小さなナポリで彼女と向き合ったインタビューページにぶつかって、ああ、あの場所に行きたいと思った。タナカさんに話したら、懐かしのロケ地再訪を面白がってくれて、予約まで引き受けてくれたのだった。
タナカさんと私はあのときの彼女と同じ窓際のテーブルに着き、同じくカンパリソーダを頼み、ひょんなことからたどり着いた土曜の午後に乾杯した。
最初に運ばれてきた、太陽みたいな堂々たるトマトに、私は歓声をあげてしまった。
湯むきしたトマトにレタスを添えた、シンプルな前菜。酸味が効いたドレッシングをレタスのほうにだけ少しかけ、粉チーズが薄く積もっている。都内のレストランならこのひと皿に数百円を支払うのが当然だが、ここではあくまでもサービスなのだ。赤いギンガムチェックのテーブルクロスに置かれたみずみずしいトマトを、2月にしては暖かい日の光が照らし、祝福と歓迎の証のように洒落ていた。
じつは、そのアーティストに会ったのは一度ではなかった。私が30歳になったばかりのときにもインタビューをしている。彼女がすすめてくれた映画や本を片っ端から追いかけて、自分の糧にしようとして過ごしたのが私の30代だった。
タナカさんとカンパリソーダを飲みながら、
「50歳になったときにも、彼女に会いたいな」
と夢みたいなことを言った私に、
「そういうのって、絶対会えると思う」
タナカさんはこう言ってくれた。敏腕編集者であるタナカさんに頷かれると、本当に叶う気がしてくる。
ほんの一年前は赤の他人同士だったタナカさんと向き合いながら、多くの出会いが私をこのレストランに運んできたことに、確かに胸を打たれていた。
時間は不可逆的ではあるが、決して均質ではない。重なったり、凝縮されたりしながら、記憶に蓄積されていく。繰り返し味わって、次に出会う誰かと共有することだってできる。レシピと時間はよく似ているのだ。