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鈴木光司「海の怪」
地球の表面は70%が海。
しかし、その実態のほとんどがいまだヴェールに包まれている。
国内外の海を船で渡った男だからこそ知る、海の底知れぬ魅力と恐怖とは――
その出来事は、単なる気のせいか、この世のものならぬものからのメッセージか……。
『リング』をはじめとした一連の作品で、ホラー界に金字塔を打ち立てた鈴木光司。
見聞きした実話をもとに語る、海と水をめぐる畏怖と恐怖に彩られた読み切りエピソード。

いかだに乗ってどこまでも(前編)

海の怪 第12回

 僕が生まれたのは静岡県浜松市北部の田園風景が広がる田舎で、六歳までそこで過ごした。農家を営む自宅周囲には自然が豊富で、子どもが遊ぶ場所に事欠くことはなかった。
 近所の竹藪を抜けると小川があり、そこで、五歳年上の兄とよくいかだを作って遊んだ。
 作り方は簡単だ。昔は石油ストーブを使っていたので、家には空の灯油缶がある。これをフロートがわりに四つ並べて竹を渡し、たこ糸でひとつひとつ結べば簡素ないかだの完成だ。
 兄と二人でこれに乗って川を下る。少し進むと、もう少し大きな川に注ぐ。
 気分は『トム・ソーヤの冒険』だった。

 いかだは上流から下流に向かって流れていくしかない。ある地点までくると、これ以上先に行ってはいけないと子ども心にもわかる。
 流れはやがて馬込川に合流し、いずれ日本屈指の急流、天竜川へと繋がっていく。天竜川は荒れる遠州灘に注いで、そのずっと先にはアメリカがある。
 今はここで諦めて帰るけれど、いつか自分の力でこの先へ行って、大きな海を渡るんだ。その頃の思いが、今でも僕を船に向かわせているのだと思う。

 あれは大学二年か三年のときだった。
 僕は小説家になろうと心に決めて、そのためには何が必要かを考えていた。そして、それは経験の質と量だと思い至った。宮内勝典の『南風』と『グリニッジの光りを離れて』をたて続けに読んで、主人公の姿を自分に重ねたのだ。
 『グリニッジの光りを離れて』は、片道切符でアメリカに渡ってきた男が、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでさまざまな苦悩を重ねて、その末に西海岸に向けて再び旅立ち、メキシコから新たな放浪の旅に出るまでの物語だ。
 僕はそれを読んで、小説家になるためには自分もニューヨークに行かなければならないと思い込んだ。主人公が辿った道のりとは逆に、西海岸から東海岸へ向けてアメリカを横断しなければならない。最終目的地はグリニッジ・ヴィレッジ、これが僕にとって作家になるための第一歩だと考えた。

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鈴木光司

すずき・こうじ●1957年静岡県浜松市生まれ。作家、エッセイスト。90年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。91年の『リング』が大きな話題を呼び、その続編である95年の『らせん』では吉川英治文学新人賞を受賞。『リング』は日本で映像化された後、ハリウッドでもリメイクされ世界的な支持を集める。2013年『エッジ』でアメリカの文学賞であるシャーリイ・ジャクスン賞(2012年度長編小説部門)を受賞。リングシリーズの『ループ』『エッジ』のほか、『仄暗い水の底から』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』など著書多数。

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