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酒井順子「言葉のあとさき」
時代が変われば言葉も変わる。
そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。
かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。
言葉の変遷を辿れば、日本人の意識の変遷もおのずと見えてくる。
近代史、古文に精通する酒井順子氏の変化球的日本語分析。

「『気づき』をもらいました」

言葉のあとさき 第5回

 知人の若者がSNSにおいて、好きなアーティストのライブに行った時の感動について、綴っていました。その最後の締めの文章は、
「色々な気づきをもらった。感動をありがとう」
 というもの。
 ステージ上で熱く歌うアーティストの姿に接して、彼と我との違いに刺激を受けた彼は「こうしてはいられない。自分も頑張らなくては」と思ったらしいのです。そんな彼が、
「色々なことに気づいた」
 でもなければ、
「色々なことに気づかされた」
 でもなく、
「気づきをもらった」
 と書いているところに、私は「今風〜」と思ったことでした。
 「気づき」という言葉は、「気づく」という動詞を名詞化したものと思われ、ここのところしばしば目にします。「気づいた」でいいではないか、ついでに言うなら後半の「感動をありがとう」も「感動した」でいいんじゃないの? と思った私。つまりその文章を平板に書くならば、
「色々なことに気づいて、感動した」
 で済むのではないか。
 彼の文章は、さらに長くすることも可能です。書き手の心情を略さずに書くと、
「‥‥という気づきをもらった。感動を与えてくれてありがとう」
 ということになりましょう。つまり書き手は、「気づき」や「感動」を、アーティストから受け取ったのだ、と表現したいと思われる。
 自身の感情の動きを、他者から「もらった」ことにしたいという、昨今のこの傾向。2001年に、当時の首相であった小泉純一郎氏(知らない方に注・小泉進次郎氏の父君です)が、横綱・貴乃花の相撲に対して、
「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」
 と言った頃と比べると、そのあたりの感覚はだいぶ変化しています。
 小泉氏の、「感動した!」を、思い返してみるならば、「感動」を生み出したのは、小泉氏本人です。膝を故障しながらも武蔵丸に勝利して優勝した貴乃花の姿を見た小泉氏が、自身の感情を動かしたのです。
 しかしもしも小泉氏が、
「痛みに耐えてよく頑張った。感動をもらった!」
 と言ったならば、この時の「感動」は、小泉氏が生み出したものでなく、貴乃花から小泉氏に進呈されたものになります。きっと小泉氏は「感動をもらった!」の後に、「ありがとう!」と言ったに違いありません。
 昭和時代を長く生きた政治家らしく、感動したのは自分自身だ、ということを小泉氏はストレートに表現したのであり、そのストレートさは、平成当時においても話題になったものでした。人々が感情をやったりとったりしがちな時代の今、時の首相がもしも同じシチュエーションに立ったなら、
「感動をもらった!」
 と言うのかもしれません。

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』など多数。

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