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寿木けい「土を編む日々」
春夏秋冬、旬の食材は、新鮮で栄養たっぷり。
季節のものは、売り場でも目立つ場所に置かれ、手に入れやすい価格なのもうれしいところ。
Twitter「きょうの140字ごはん」、ロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』で、日々の献立に悩む人びとを救い続ける寿木けいさん。
富山で暮らした幼い頃から現在に至るまでの食の記憶をめぐるエッセイと、簡単で美味しくできる野菜料理のレシピを紹介します。

第1回 淡い混沌を生きる

 旧暦四月には、花残月はなのこりづきという異名いみょうがある。
 三月、南からやってきた高温多湿の空気が、夜になるとぐんと冷え、水気をたっぷりふくんで朧月おぼろづきを生む。かすむのは月か、それとも自分の眼か。気だるく春に足を踏み入れたとたんに桜前線はぐんぐん北上し、落花を見送ろうとする今、夏が足踏みして待っている。
 花の余韻に浸るひまもない日々を、せわしなくノックするように、富山の母から山菜が送られてきたことがあった。こごみやコシアブラ、よしな(かたは)にゼンマイ。発泡スチロールいっぱいの山菜を都会の玄関で託されることは、嬉しさ八割、戸惑い二割の珍事である。
 無事受け取ったお礼をと、すぐに電話をかけた。聞けば、ひとりで山へ入って摘んできたという。のんびりとした故郷の言葉のなかに、母の健脚さと弾んだ食欲が伝わってくる。アク抜きの方法や味付けを教わって電話を切ったあと、私は家じゅうのボウルやざるを引っ張り出して、鍋を火にかけた。こうして、約400km離れた母と娘の間で、春のバトンが無事に手渡されたのだ。
 湯のなかの山菜を菜箸でつつきながら、野山へ分け入る母の姿を想像してみれば、不思議なことだが、いつまでも若いままなのだった。
 しかし何年か前を最後に、母からの山菜便が途絶えた。足腰が弱くなったのだろう。でも、体力は減っても、料理への好奇心は持ち続けてくれたらと願う。スーパーに並んでいる野菜が、手ずから収穫するそれより劣っているとは思わない。台所に立てば、どんなときも、それがその人の暮らしに見合った土との絆である。
 それに、じつは熊の被害も気がかりだった。母の家からそう遠くない集落へ、冬眠から覚めた熊が餌を求めて下りてきていると、ニュースで何度も目にしていたから。
 
 冬眠から目覚めるのは、私も同じ。
 新調した春服に、待ちきれず袖を通す。ぬくい風に誘われて街に出れば、帰り道、思いがけない風に吹き上げられた首筋が白白と冷える。信号待ちで薄いブルゾンの前をかきあわせては、翌朝きまって薄く風邪をひき、フライングを叱られてきた。
 だからこそ、食卓はファッションのように先取りしすぎなくてもいいと私は思う。商業的な食のキャンペーンに体を預けたくはない。家の食事は懐石料理とは違うのだから、たとえばテーブルに走りのものを一品並べたら、隣には名残のものを置いたり、一年中手に入るハウス栽培ものがあっていい。一食、また一食と、体を外気にゆるやかに合流させるのだ。

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寿木けい

すずき・けい●富山県生まれ。早稲田大学卒業後、出版社で雑誌の編集者として働きつつ、執筆活動をはじめる。出版社退社後、現在も会社員を続けながら、暮らしや女性の生き方に関する連載を持つ。
2010年からTwitterで「きょうの140字ごはん」(@140words_recipe)を発信。フォロワーは現在11万人以上。著書に『わたしのごちそう365 レシピとよぶほどのものでもない』、ロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』がある。近著は話題のエッセイ集『閨と厨』。
現在、東京都内で夫と二人の子供と暮らす。

砺波周平

となみ・しゅうへい●写真家。1979年仙台生まれ北海道育ち。
北里大学獣医畜産学部卒業。大学在学中から、写真家の細川剛氏に師事。
2007年東京都八王子市に東京事務所を置く傍ら、八ヶ岳南麓(長野県諏訪郡富士見町)に古い家を見つけ自分たちで改装し、妻と三人の娘、犬、猫と移り住む。
写真を志して以来一貫して日々の暮らしを撮り続ける。現在作品が「暮しの手帖」の扉に使用されている。東京都と長野、山梨に拠点を持ち活動中。

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