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女性社員を「女の子たち」と呼ぶ職場で陥った貧困生活 第20話 気がつけば貧乏

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 貧乏とはすぐになるものではなく、ある日気づいたらなっているものだ。それに気がついたのはある休日、温かいお茶を飲もうと戸棚を開けるとお茶の缶が空になっている。ストックがあったと思っていた紅茶のティーバッグも、ハーブティーも、ほうじ茶も、何もない。昔からお茶が好きだったので、紅茶は紅茶専門店で買っていたのだが、2,000円する紅茶の缶が買えない。20パック400円程度のハーブティーも高く感じる。結局、迷って迷って100パック600円の紅茶を決心するように買う。一事が万事、そんな感じだった。パンはパン屋さんで買っていたがスーパーで買うようになったし、ケチャップとマスタードのセットが500円ほどで売っていても、果たして買っていいのか、無駄遣いじゃないのかと必死に悩み、やっとの思いで買っても後から無駄遣いだったと虚しくなる。そもそも、なんでケチャップとマスタードのセットが欲しかったのかというと、ゴールデンウィークを前に何か楽しい気分になりたいと考えた時、買えるものがせいぜいそれくらいだったからだ。旅行は無理だし、出かける予定もないし、ずっと家にいるしかない。そんな時に、パンにウインナーを挟んでマスタードをかけたら楽しかろうと思ったのだ。そんな30代、マジか。

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 当時、手取り17万だったが、一人暮らしでも食うに困るほど困窮する金額ではない。しかし、立地や設備を考慮した賃貸の家賃7万円、携帯、光熱費、通信費、サブスク代、加えて当時は脱毛のローンも払っていたので、手持ちのお金を減らさないために欲しい服や行きたいライブのチケットはカードで買う。すると翌月2~3万ほど引き落とされ、手元に残るのは3~4万円程度、そのためまたカードを使い……という自転車操業状態だった。それに、お金がなくて欲しいものが買えないため、永遠に物欲が収まることがない。不運にも私は服が好きなので、休日は古着屋さんに行き、2000円ほどの派手な服を買うことがリフレッシュみたいなものだった。服を買う理由はその服が欲しいからではない。欲しいのは自己の変革、自己イメージの一新だった。常にお金がないので、常に妥協した服を身につけている。会社にも着ていけそうで普段も着られそうな服、という5番目くらいに欲しい服をいつも着ているので常に自分が気に入らない。なので、安くて派手な服を見つけると「これを着れば楽しくなるかも」と、気分をマシにするために服を買っていた。だが最初に戻るが、私の一番欲しい服は買えないので常に不満が残り、「ああ、自分を一新したい」という感情がまた蓄積されていく。だからキリがない。食うにも困るような貧困状態ではないが、毎日数百円で気を紛らわして生きている。生きるだけ、死んでないだけの給料だった。

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 そんなある日、突如両腕の痺れと痛みに襲われた。最初は痺れのような違和感が続き、ある夜、寝ていても腕がキリキリと痛んで眠れない。仕方なく土曜日に整形外科に行くも原因はわからず、翌週神経内科に行くもやはり原因はわからない。そんな感じで毎週土曜は病院に通ったが、相変わらず原因不明の痛みが続いた。原因不明と書いたが、春先に毎晩漫画を描いていたことも一因のような気がする。それは、「清野とおるエッセイ漫画大賞」に応募するための作品だった。エッセイは描いたことがなかったが、お金がなくてコミティアの出展料や冊子の印刷代も惜しんでいたためしばらく何も制作しておらず、締め切りがないと何もしない私は、何かしなければという焦りもあり初めて賞に応募した。入選すれば賞金も出る。締め切りまでの約2ヶ月、毎晩深夜までペンタブで漫画を描いて、提出後はいつ発表になるのかと毎日検索していた。そして仕事はマウスを使っての図面制作、通勤時間はスマホで毎日アンケートに答えたり、口コミを書いたりして小銭を稼ぐ生活だった。結局、高い金を払って整体に通い改善したが、具体的な原因はわからないままである。
 幸い、エッセイ漫画は大賞には選ばれなかったものの小さな賞をいただき賞金ももらえた。これで漫画家になれると思うほど楽観的ではないが、これならもうちょっと頑張って漫画を描き続けて、コミティアでそれなりに利益が出せる人生もあるかもしれないと目の前が明るくなった。
 一度、働きながらイラストを描いている年下の知り合いに「なんでコミティアに出ようと思えるんですか?」と聞かれたことがあった。それは私が「楽しくはないけど出てる」と言ったからなのだが、お金もかかるうえ楽しくもないなら動機がわからないのだそうだ。たしかに当然の疑問である。当時の私は、締め切りを設けることで無理矢理にでも何か作ることが目的で、そのためだけに数千円の出店料を払っていた。なぜなら創作と無縁だった何年もの間、「自分はやるべきことをやっていない」という妙な切迫感があり、自分自身への不信感を募らせていたように思う。それを払拭する唯一の手段は、誰に頼まれるでもなく勝手に描くということだった。始めるまでは、そんな恥ずかしいことをして黒歴史を塗り重ねたら余計にみっともなくなるだけだと思っていたが、意外にも自己嫌悪のようなものが軽減した。思えば、創作しない自分なんか絶対に好きになりたくない、という積極的自己嫌悪みたいな状態だった。でもそれは、なぜと聞かれて初めて認識したことで、そんなことを聞かれるということは、誰もこんな発想じゃないということ……? 驚愕である。30歳を過ぎたら親もピタっと何も言わなくなった。つまり親としても、30歳を過ぎたら結婚の可能性は皆無、我が子は「終わった人」なのだろう。今さら会社員としての飛躍も望めないし、そうなると創作くらいしか希望らしきものを夢想できるものもない。これで堂々と創作をする口実ができた、そう思うと少し嬉しくもあった。
 会社はぬるま湯で楽ちんだったが、病院に行くにも貯金を崩す生活を経験し、さすがに危機感を抱いた私は転職することにした。実はこの年、子宮のポリープを取るために手術もして、加入していた生命保険のお金でどうにか賄うこともあったのだ。お金の不安を感じたくない。そう思い、月収25万以上に絞って転職活動し、苦戦の末内定をもらい、ゆるふわブラック企業を退職した。
 そういえば、腕が痛い時期に整形外科で骨密度を測ったところ「正常値の範囲だが老人並み、閉経してませんよね?」と言われていた。病院からもらった食生活のリーフレットを見て思ったが、牛乳や卵、果物や魚などの栄養価は高いがお腹にたまらない食品を買うことが少なかったので、長年のうっすら貧乏生活の蓄積で栄養が足りていなかったのではないかと思っている。

次回は1月22日(水)公開予定です。

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冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
最新刊は『スルーロマンス』(講談社)全5巻。

Twitter @umek3o

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