よみタイ

3.11のあの日、パニックになった都内を走らせたタクシー運転手の苦悩

走りだしたとたんの大渋滞

「いいんですか、回送になってましたけど」

 開けたドアの向こうから、なんだか申し訳ないな、みたいな言いようの声が聞こえたけれど、もう停まってしまったのだから、いいも悪いもない。それでも、行き先を聞いて、まいったな、とは思った。俺は会社に戻りたい。ふたりの女性が立っていた場所から考えると、Uターンして反対方向を目指す可能性は低いと踏んだ。会社がある板橋区とまでは願わないけれど、手前か先か、とにかく同じ方向か、それに近い方向の客だろうと自分に都合のいい判断を、クルマを停めるまでのわずかな迷いのなかで下していたのだ。だが、違った。

「二子玉川までお願いします」

 まるで方向違いの客を乗せ、走りだしたとたん大渋滞に巻き込まれた。南青山3丁目の交差点を左折し、青山通りを渋谷方面に向いて300メートルも行かないうちに渋滞の最後尾に追いついてしまったのだ。私のすぐ後ろにも続々とクルマがつながって、あっという間に身動きがとれなくなった。そこからは、ひたすらノロノロと動いては止まりの連続だった。二子玉川までだと、首都高に乗れば30~40分もあれば着くのがふつうなのに、この状況では、まるで先が読めない。不安げな表情で黙ったまま前方の様子を窺っている二人の乗客の心中を察した。いったい、渋滞はどこまで続いているの、と思っている。それは運転手も同じだった。もう少し進めば六本木通りとの合流で「そこを過ぎれば流れだすかも」と期待を込めた推測を話したが、合流地点を過ぎても、渋谷駅のガードを過ぎても状況はまるで変わらなかった。予想どおり、首都高はすでに閉鎖されていた。会社には、いつ戻れるか見当もつかないと電話した。大地震の発生直後からほとんどの携帯電話が使いものにならなくなっていたようだが、私が持っていたのは時代後れのムーバだったのが幸いして、あの状況下でもちゃんと利用できたのだ。二人の女性客も家族と連絡を取り合いたかったろうに、俺は何て気が利かない運転手なんだと後になって悔やんだ。ひと言、どうぞ使ってくださいと言っていればよかったのに。

 頭上を首都高が通る国道二四六号線の歩道の混雑ぶりは、たとえるならラッシュアワーのJR新宿駅のプラットホームのようだ。都心から離れる方向に歩く人たちの大行列が途切れることなくどこまでもどこまでも繫がっている。大手町で目にしたのと同じ白いヘルメットを被った人もいる。誰もが黙々と歩いていた。5メートル進んでは止まり、20メートル行っては止まりの大渋滞のなかで、クルマの動きは歩道を歩く人よりずいぶん遅い。首都高の下のニーヨンロク、ここにでかい余震がきて、上から何か降ってきても逃げようがないと考えたら少し怖くなった。三軒茶屋の手前でコンビニに立ち寄ったのは、女性客のためのトイレ休憩が必要だったからだ。飲食物がほとんど店頭から消えてなくなっているのは想定内だった。こんな状況下でも営業をやめないなんて、さすがコンビニだ。歩き続ける人たちのために営業を続けている飲食店が何軒かあった。交差点の角に立ち「道案内します」と記した紙を掲げる若い男の姿を見かけた。それよりなにより驚いたのは、歩道を行く人たちの落ち着きぶりと、先を争うどころかクラクションひとつ鳴らさず、道を譲り合ってさえいるドライバーたちの行動だった。

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新刊紹介

矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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