よみタイ

いつも鏡を見てる

3.11のあの日、パニックになった都内を走らせたタクシー運転手の苦悩

「私、ひとりでいたら気が狂いそう」

「東京駅まで」

 新幹線で大阪に行くと言う彼女に、新幹線どころか電車の1本も動いてないはずだと丁寧に教えたが、とにかく東京駅に行ってみてくれと聞かない。大地震に怯えきっていて、気象庁前の交差点を過ぎたところで渋滞の最後尾になって停まったとき、彼女のそれは絶頂を迎えたようだった。

「私、ひとりでいたら気が狂いそう」

 でかい余震が再び街中を大きく揺らし、クルマがさっきと同じくらい派手に暴れだす。「キャーッ」だったか「ワーッ」だったか、私の意識の外で乗客が悲鳴をあげた。

 高い建物からの落下物でもあったらことだと心配して真上に向けた視線の先で、通行区分を示す水色の大きな鉄板の標識がぐらぐら揺れていた。こいつが落ちてきたらとんでもない目に遭いそうだ。怖くなって、暴れている最中のクルマを10メートルくらいバックさせた。女性客が必死の形相でドアを開け、逃げだそうとしていたから、とっさに「危ないから外にでないで」と怒鳴ってしまった。そのとき、飛んできた何かがコツンと車体に当たった気がして、確認しようと運転席のドアを半分開けたところで、彼女が「ひとりでいたら気が狂いそう」と怯えた。

 前方には建設中のパレスホテルがあり、そのてっぺんでは工事用の巨大なクレーンのアームが大きく揺れ続けている。デジカメを動画モードにしてそれを映しながら、このままだとアームが折れてしまうか、もしかすると揺れの勢いでクレーンごと地上に落下してしまうかもしれないと思った。歩道は退避してきた近隣の企業で働く人たちでいっぱいで、何人もの外国人も含め、多くが防災用の白いヘルメットを被っている。大手町あたりの企業は災害への備えもしっかりしているんだなと感心しながら目で追うと、彼らはリーダーらしい男の指示に従い、防災訓練かと間違えそうなくらい整然と行動していた。建物に近い位置にいて上からガラス片でも降ってきたら大変と判断したのか、道幅が広い内堀通の真ん中の分離帯に人が集まっている。どれもこれも初めて目にする光景だった。

 東京中を探しまわったところで、空車のタクシーなんてただの1台も走っていないと断言してよさそうな状況だった。電車は絶対に動いてないから、ここで待っていてあげるから新幹線の状況を確認してきてと彼女に告げ、駅に入っていく人と駅からでてくる人で溢れ返っている東京駅の前にクルマを止めた。傍目には、こんなときに吞気なやつと映ったかもしれないが、車外にでて、クルマにもたれてハイライトに火をつけた。彼女が戻ってくるまで20分ほどだったが、そのわずかな間にわさわさと人が寄ってきた。空車のタクシーを求めてだったが、歩いて行くことに決めた自分の目的地までの道順を尋ねる人もいた。目標になる案内標識や建物を教えるだけで進むべき方向を理解した何人かに混じって、ひとりだけ、東京の地理がまったくわからないと言った女性には地図を書いて説明した。四時に池袋駅で中学生の娘と待ち合わせをしているのだけれど、携帯電話は不通で、歩いて行くしかないのだと話した彼女。30分や40分で池袋まで行くのはとうてい無理と答えた私の言葉で、泣きだすんじゃないかと心配になるくらい、みるみるうちに表情が曇っていく。

 新幹線がストップしたのを知ってクルマに戻ったスイスからの旅行者は、港区にある大使館関連の施設へと目的地を変更し、それから30分後、すっかり落ち着きを取り戻したようで何度も何度も「ありがとう」を繰り返した。彼女が目的の施設に入ったのを見届けるのと同時に、表示ランプを「空車」から「回送」に変えて走りだす。とにかく家に戻って、東北で起こったとラジオが報じた大地震の詳しい状況を知りたかった。石巻市がどうなっているのか状況を知りたかった。外苑西通りの歩道には空車のタクシーを求める人が列を作るようにして立っていたが、すべて無視して通り過ぎた。私のクルマに向かって手をあげる人たちを無視し続けるのは、少しばかり大袈裟なたとえだけれど、海に投げだされて救いを求めている人を見捨てるようで罪悪感みたいな思いに襲われ、しかし、一人や二人を乗せたところでどうなるものでもないと自分に言い訳しながら走り過ぎた。俺は日勤だから帰庫しなければいけないんだと言い訳しながら走り過ぎた。けれど、あと少しで南青山3丁目の交差点に差しかかるところで、タクシーを求めて手を挙げる大勢のなかにベビーカーに赤ちゃんを乗せたふたりの女性の姿を見つけてしまったら、もういけない。どうしようか迷った。ふだんからひとり言なんて口にしないが、このときは「しょうがねぇな」と、思いが声になってでた。停めるしかないと諦めたが、迷ったぶんだけ行き過ぎてしまい、10メートルくらいバックした。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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