よみタイ

いつも鏡を見てる

3.11のあの日、パニックになった都内を走らせたタクシー運転手の苦悩

見たことない、でかい地震

 夕方には仕事を終える日勤のくせに出庫したのが8時40分なのだから、その時点で、もう、ぜんぜん話にならない。7時には走りだし、うまいこと池袋駅へ急ぐ通勤者でも拾っていれば初めの1回で3000円くらいにはなっているのに、こんな時間では、空車を待ってくれているのは近所の病院に通う老人くらいのものだろう。9時ちょうどに川越街道の常盤台から乗せた最初の客の行き先は、案の定、日大板橋病院までで、ワンメーターの710円だった。その後、2060円、2420円と続いたまでは悪くなかったが、10時半に神保町で乗せたのは飯田橋までの710円。そのまま飯田橋駅で空車の列に並び、40分待って乗せた中年女性の行き先は防衛省前までの980円だった。しかも、その女、降りる段になって文句を言いだした。

「いつもは800円か890円でくるのに、おかしいじゃないの」

「ぜったいにおかしいわよ。だって、いつもなら高くたって890円なのよ」

「申し訳ありませんでした。道が混雑していたものですから」

「そんなことないでしょう。いつもと違うじゃないのよ」

「980円なんて初めてなのよ。おたくの会社に電話させてもらうわよ」

「いつも」を譲らない彼女の言いようは、たちの悪い運転手が遠まわりでもしたか料金メーターに不正でもあるかのようだった。この手の客は昼夜に関係なく少なからずいる。飯田橋駅から防衛省前までは一本道だから遠まわりのしようもなく、ましてやメーターの不正なんてできるはずがない。それでも、お客さまさまの近ごろのタクシーは、接客業とはそういうものだろうが、腹で「冗談じゃねぇよ」と思っても、どうも申し訳ありません、と、ひたすら低姿勢で嵐が過ぎ去ってくれるのを待つしかないのである。

 昼休みをはさみ、午後2時の時点までの営業回数はわずか9回で、水揚げは税込み1万と710円。この調子だと、よっぽどラッキーが続かない限り最低目標の2万円に届きそうもないが、日勤の仕事にラッキーなんて易々と転がっているわけがなく、それから客を拾えたのは2回だけで、どっちも710円だった。通勤時間帯を過ぎてしまうと、日中はいつもこんな調子だし、だから7時には出庫しておかないと、後が辛いのだ。ワンメーターの客を降ろしてから1時間近くも空車で走りまわり、やっと見つけた客を乗せたのは、白山通りの、白山下の交差点の角で、午後2時40分を少し過ぎたころである。

「神保町の交差点を越えて、学士会館のあたりまでお願いします」

 いかにも仕事中を想わせるスーツ姿の女性が目的地を告げ、「はい」と返す私の頭に、800円か890円の料金が浮かんだ。

 白山下から500メートルほども行ったところにある大型ディスカウントショップ、オリンピックの前の信号が赤に変わったのは、走りだしてから二分も経っていないときである。信号待ちの間、やっぱり今日は2万円には届きそうにない、と、8時40分の出庫をさんざん悔いている最中に信号が青に変わった。異変を感じたのは、右足でブレーキを踏んだままシフトレバーをDに入れ、少しだけ足を浮かせるとクルマがゆるゆると前進し、アクセルペダルに足を乗せたときである。タイヤがズルッと滑った。実際には滑ったような感覚が伝わってきただけなのかもしれないが、そのときは滑ったと感じたのだ。それはちょうど、下手くそなスキーヤーのエッジの効かないパラレルのようで、後輪のパンクかなと思った。

 パンク?

 パンクかよ、と、無意識のうちにでた声は、たぶん後ろの座席にも届いていただろう。とりあえずクルマを路肩に寄せようとハンドルを少しだけ左に切った。その視線の先で、路面がふにゃふにゃと波打っていた。驚いて目の錯覚を疑いそうになった。けれど、それは一瞬だけで、すぐに地震だとわかった。こんどは客に教えるように「地震だ」と声にだした。こんなの見たことない。でかい地震だ。「うわ~ッ、でかいッ」と声にだした。阪神淡路大震災や新潟県中越地震に遭遇した何人かに、クルマを運転中の、その瞬間を聞いたことがある。タクシーを左に寄せると同時に、かつて教えてもらった言葉どおり、車内に留まっているのが怖くなるほどクルマも路面も踊るように暴れはじめた。外からはどう映っていたのだろう、車内は、暴れ牛に跨がったロデオみたいだった。それがどれくらい続いたか、1分か2分か、とにかく長い時間ではなかった気がする。静まったのか、まだ静まらないのか、それすらわからない。ドアを勝手に開けて車外にでようとする女性を「降りない方が安全ですから」と制し、まわりを見渡した。歩道にいる人たちの誰もが、視線の先の高い建物の様子を窺っている。オリンピックの前に立ちつくし前方を指さす女の人の口が「あれッ」と動き、左手に持っていた大きなレジ袋を歩道に落とした。向こうに見える30階建てくらいの高層ビルが強風に晒された竹のようにしなって、大きく、ゆっくり揺れている。電線が大縄跳びみたいにぐらんぐらん振れている。震源地は東京だと思った。ついに関東大震災か、と思った。高層ビルは時計の振り子を逆さまにしたように揺れ続け、それを呆然と見つめているうちに、こんどは、耐震設計ってすげ~な、と驚いたり感心したりした。こっちは、あのビルはもうすぐ崩れると覚悟を決めているのに、ところが外壁の一片も崩れてこない。

 すぐにカーラジオをONにした。そのとたん大地震発生の速報が流れだし、アナウンサーが「震源地は宮城県沖」と言った。

 耳にした瞬間、なんでだよ、が、まず頭に浮かぶ。

 宮城沖が震源で、なんで東京がこんなに揺れるんだよ。おかしいだろ。

 東京の激しい揺れと「震源地は宮城沖」との速報が頭のなかでどうしても一致せず、何か尋常でない事態が起こっているに違いないと感じていた。不安な思いが湧いてきて、嫌な予感が胸のうちでざわつきだす。宮城県石巻市で暮らす知人がいる。ずっと以前、彼女が言った言葉が頭をよぎった。

「石巻に住む以上、いつ大地震がきても、と覚悟している」

 それから数分後、乗客が「ここで降ります」と指示した場所は神保町の交差点を少し過ぎたあたりで、学士会館の手前だった。そこに至るまでの2キロほどの沿道はビルから逃げだしてきた人々で溢れ、空車のタクシーを待って手をあげている人たちが鈴なり状態でつながっていた。沿道にこれほど大勢の人が集まっているのを目にするのは東京マラソンの応援にでくわしたとき以来かもしれない。客を降ろすために停まったら、誰かが間髪容いれず乗り込んでくるのは想像がつく。日勤なのに、そんなことになったら帰庫できなくなってしまう。冗談じゃない。俺だってとっとと家に帰りたい。空車になったら回送表示をだして、と算段したけれど、無駄だった。閉まりかけたドアに身体を入れ、無理やり乗り込んできたのは、後になってわかるのだけれど、地震とは無縁なスイスからの旅行者で、日本には「きのう着いたばかり」と話した中年の女性である。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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