2021.3.2
「真央ちゃん」を「真央さん」と呼ぶようになる日~浅田真央(元フィギュアスケート選手)
主な記録は、2010年、バンクーバー五輪銀メダル、2014年ソチオリンピック6位入賞を始め、2008、2010、2014年世界選手権優勝。グランプリファイナル優勝、4回、四大陸選手権優勝、3回。全日本選手権優勝、6回……と、まさに日本の女子フィギュアシングルの歴史を代表する選手。
スケートの天才少女は演技だけでなく、その愛らしさでも飛びぬけていた
人というのは勝手なもので、ある人に第一印象で抱いたイメージを、ずっとその人に押し付けてしまいがちだ。たとえば子役の時に話題となった俳優が、その後どんなに成長して大人の演技を身につけたとしても、見ている側のイメージは子役の時のままだったりする。私の中の安達祐実は今でも「私はかわいいアライ“グ”~マ」と歌って、小林稔侍に「母さん、どうしてこの子は具が大きいのかなぁ」と言われている印象だし、鈴木福、芦田愛菜はいつまで経っても「くん」「ちゃん」付けで呼んでしまいそうな気がしている。
それはスポーツ選手についても同様で、若いうちから頭角を現した選手を、われわれはいつまでも「ちゃん」付けで呼んでしまっていないだろうか。その筆頭に挙げられるのが、フィギュアスケート選手・浅田真央だと思う。普段私がコラムを書く時には人名に敬称を付けないのだが、ここでは特別に「真央ちゃん」と呼ばせてもらいたい。
幼い頃から「天才少女」と呼ばれ、小学6年生の時に特別推薦で出場した全日本選手権で3連続3回転ジャンプを飛んで注目された真央ちゃん。15歳でシニアに転じた2005-2006シーズン、グランプリシリーズ初戦中国杯で2位、第2戦エリック・ポンパール杯で優勝した後、東京で行われたグランプリファイナルで優勝を果たし、「真央ちゃん」の名前は一躍全国区となった。
ピンクの衣装に身を包んだ真央ちゃんが、軽やかにトリプルアクセルを決めて「くるみ割り人形」を舞ったフリーの演技は、まるで妖精のようでもあった。演技後、ドラえもんのぬいぐるみを抱えながら得点発表を待ち、高得点に大喜びする笑顔とともに、日本中の大人たちに「かわいい真央ちゃん」という強烈な印象を残したのである。
ところで先日、朝日新聞デジタルの記事に「浅田真央30歳、夢は古民家生活」(2021年2月23日)というタイトルを見つけて仰天した。私の中の真央ちゃんは、15歳の印象のままで止まっていたからだ。思えばあのグランプリファイナルから15年が経っているのだから、30歳になっているのは当たり前である。本来ならば「真央さん」と呼ばなければならない年齢のはずだ。それなのになぜ、「真央ちゃん」の方がしっくりくるのだろう。