2022.7.23
【中村憲剛×尾形貴弘対談 後編】サッカー界の人気を引き上げるには外からの力も必要!
宮城県東松島市出身の尾形さんは2011年の東日本大震災によって実家が全壊。地元への思いを強め、「東松島ふるさと復興大使」を務めるなど復興活動の盛り上げにも一役買っています。近い将来、地元でサッカー教室をやってみたいという目標もあるとか。サッカー人気の低迷がささやかれている現状、サッカー界をどう盛り上げていけばいいか。「サッカーが大好き」な2人の熱いトークは「未来」に移っていきます。
(取材・構成/二宮寿朗 撮影/熊谷 貫 ヘア&メイク/川畑春菜※中村さん分)
指導者ライセンスを取って地元で子どもたちとサッカーしたい
(前編よりつづく)
中村
東日本大震災の際は、尾形さんも大変だったとうかがっています。
尾形
お笑い芸人だから、笑えないことを語るのもどうかと思ってあまり話をしてこなかったのよ。東松島の実家も津波に流されてしまって、父親ものみこまれてもうダメかもとなったときに運良く屋根が流れてきて何とか助かって。まわりの家や、サッカーやっていたところも流されちゃって。だから俺、いつか指導者ライセンスを取って地元の小学校とか行って子どもたちとサッカーしたいっていう気持ちはずっとあるのよ。
中村
川崎フロンターレは被災地の岩手・陸前高田市と友好協定を結ぶ関係にまでなったのですが、最初に訪れたのは2011年の夏でした。瓦礫がたくさんあり、被害を目の当たりにして言葉を失いました。こんなときにサッカー選手が行ってもいいものなのかと思いました。
尾形
何かきっかけがあったの?
中村
フロンターレでは、十数年前から川崎市の小学6年生に向けて算数ドリルをつくって川崎の全小学校に配っていたんですね。陸前高田市の小学校が教材を流されて困っているという相談を受けて、そのドリルをクラブスタッフが持って行ったことがきっかけでした。僕たち選手も、そこから数ヶ月経ってから選手会みんなで訪問をすることが決まって。先生たちも「ぜひ来てください」と言ってくださったんですけど、このタイミングでサッカー選手が行く意味を考えた時に本当に必要なことなのかなと、行く前は正直少し怖かったんです。
尾形
子どもたち、絶対喜ぶよ。サッカー少年にとってお前はスーパースターだから。
中村
実際に子どもたちが笑顔でボールを蹴ってくれましたし、すごく喜んでもらったと聞いて、とても嬉しかったですし、サッカー選手の価値、サッカーの力ってすごいんだなと感じました。みなさんを元気づけたいと思ったのに、むしろ僕らのほうが元気をもらいましたから。
尾形
中学、高校のときに一緒にサッカーやっていた仲間も、結構地元で指導者をやっててさ、来てくれと言われるのよ。被災地を回って、子どもたちとサッカーやりたいよ。サッカーをやれる環境づくりにも協力できるところはしていきたいね。
中村
環境づくりは大人の役目ですからね。
尾形
東松島なんてメチャメチャ田舎なんだから。でもそこから将来、日本代表になるような、すごい選手が出てくるかもしれないじゃん。その芽をつぶしたくないよな。
中村
尾形さん……、子ども好きだったんですか……?
尾形
子ども? そりゃ好きだよ!
中村
すみません……大学時代の尾形さんからはまったく想像つかなくて……。人は変わる生き物なんだなって、つくづく思います(笑)。
尾形
憲剛、人って変われるんだよ!
中村
でも、テレビを見ていると尾形さん熱量があるので、絶対、子どもたちに教えるのうまそう。子どもたちを惹きつける力ありますから。
尾形
指導者ライセンスを取りたいって話もずっとマネージャーにしていて。ただコロナ禍もあってまだ始められてはいないけど。
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