2026.5.27
「親孝行ができていない…」と悩む人に伝えたい「ターン制」という考え方【こんな質問が来る 第8回】
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自分のターンが来るまで、自分の人生をじっくり育てておけばよい
そういえばこんなことがあった。今年は親に年賀状を書いてみるか……と、ハガキを手に取ってみたところ、ひとことふたこと書けばそれで終わるはずなのに、まったく筆が進まないのだ。戸惑っていると、ふと住所に誤字を見つけた。まずこれを修正しようと思った途端、急に冷や汗をかくほどの抵抗を感じた。「うう、直したくない……」そんな正体不明の頑固な気持ちに囚われて作業が一向に進まない。旅人の前に立ちはだかる妖怪ぬりかべに出会ったような奇妙な瞬間だった。
どうやら、親に「気を遣う」ことがどうにも他人行儀に思えて、自分の中の何かが強く抵抗していたようだ。四人きょうだいの次男である。それほど多くのことを親に期待するタイプの人間ではないと思っていたのだが、これが僕なりの甘え方なのかもしれないと、その時、ようやく気がついたのである。どうやら僕は、親に何かを与える側というより、まだどこかで受け取る側のつもりでいたらしい。
つまり、僕のターンはまだ来ていなかったのだ。
「親孝行はターン制」。
これは質問箱にやって来る親孝行に焦る人々をなだめすかしてお引き取りいただく際に、なんだか心細そうな彼らに持たせるお守りのような僕の口癖である。
金額のはっきりした借金と違って、親からもらったものはそのまま同じものを返せるたぐいのものではないし、返済のタイミングも分からない。それゆえ何をもって、いつ、それに報いるべきかの答えが見えずに呪縛のように親子の関係をいびつなものにしてしまうこともある。過干渉や搾取などいろいろな側面があるが、毒親とは「子が自分の人生を自分自身のものとして生きることを阻むもの」といえるかもしれない。だから親の求めるものにリアルタイムで応え続けることだけが、親孝行とはかぎらないのだ。
地方都市に生きる女性のリアルと彼女たちの人生の「選択」を伝えるノンフィクションとして話題になった『地方女子たちの選択』(桂書房)。そこで、小説家・山内マリコとの対談において社会学者・上野千鶴子がこんなことを言っていた。
「娘の自由は母と娘、二世代がかりの達成」
つまり、親が子に与えたものが、そのまま親へ返済されるとは限らない。親が果たせなかったものを子が引き継ぎ、さらにその先へバトンを渡していくこともあるのかもしれない。だからこそ、親孝行とは何か、「いつ」、「なに」を「誰に」返すのかを決めるのは親ではなく子でなくてはならない。それが自立ということなのだろう。その時が自分のターンである。だから「親に何も返せていない」と焦る必要はないのだ。自分のターンが来るまで、自分の人生をじっくり育てておけばよいのである。
……と人には言いつつ、さすがに僕ものんびり自分の人生を育てすぎたな……と、すっかり角が取れて良いおじいちゃん、おばあちゃんになった両親と自分の人生を振り返りながら思っていた昨今。以前から考えていたことを、今年いよいよ実行しようと決めた。自分の父母の人生の聞き書きである。どこに発表するものでもないが、彼らが自分の人生をどのように語るのか。
彼らの言い分をしっかり書きとめておきたい。
いつも仕事で様々な人にインタビューをしているとはいえ、実の親である。こっちにだって思っていることはある。プロとして聞き手に徹するつもりではあるが、思わずケンカになってしまうかもしれない。でも、それでもよかろう。親の言いたいことをたっぷり聞いて、一生分、そのケンカにつきあってやろうと思う。
覚悟しろよ、父さん、母さん。
次回連載第9回は6/24(水)公開予定です。
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