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早稲田卒の教師が卒業式の日に語った自分自身の「あまりに惨めな人生の話」とは?【麻布競馬場 新刊試し読み】

9月5日に麻布競馬場さんのショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』が発売されます。
麻布さんがTwitter等に投稿した作品の中から、傑作を集めた一冊です。

今回、本書に収録されている「3年4組のみんなへ」を無料公開いたします!
この話は2022年3月にツイッターに投稿後、爆発的に拡散され、ツリー全体で40万以上のイイネを獲得しました。
テレビ東京のプロデューサー・祖父江里奈さんが書評でオススメしている一篇でもあります。
この機会にぜひ!

3年4組のみんなへ

 3年4組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。

 先生の家の車にはいつもビートルズが流れていました。母が家の近くの、今は潰れてなくなったツタヤで借りたアルバム。別にビートルズが好きなわけではありません。スピードラーニングのように、それを聴くだけで自分の子どもが石川遼のように英語をペラペラと喋れるようにならないかと、漠然と望んでいたのです。

 父は地元の私立大学を出て地元のガスの子会社に就職しました。母は地元の私立高校を出て、父と同じ会社に就職しました。両親の両親もそんな感じだったと思います。何にせよ二人は職場で出会って、結婚して、そして先生が生まれました。この街にはロクな娯楽も、知的な趣味もありませんでした。父の愛読書はスピリッツで、母の愛読書はマーガレットでした。

 小学4年生のときだったかな、社宅の隣に住んでいた高橋さんの息子が法政大学に合格したというニュースが我が家に飛び込んできました。「東京」という、この街には存在しなかった選択肢が降ってきたのです。両親も、そして何より私自身も、せいぜい岡山大学を出て、地銀にでも就職するものだと思っていました。

 子どもを育てるというのは大変なことです。質量保存の法則みたいなもので、自分が与えられてきたものしか子どもに与えられないものです。親から少女マンガしか与えられてこなかった母は、子どもを東京の大学に入れる方法なんて知らなかったのです。そこで母が苦し紛れに借りてきたのがビートルズのCDだったのです。

 ビートルズの効果だったのかもしれません。先生の成績は順調に伸びました。近所の公立小中から地元で一番の高校。塾にも通い始めました。駅前の東進衛星予備校。東京で録画されたらしい授業のDVDを、ショーウインドウの奥のトランペットを欲しがる子どものように、この片田舎で必死で眺めました。来る日も来る日も。

 第一志望は早稲田の法学部でしたが落ちて、唯一受かった教育学部に進学しました。下落合の、川沿いの3点ユニットの狭い1K。テニスサークルに入って、毎日「わっしょい」や「だるま」で飲んで吐いて、ロータリーで騒いだり寝たりして、グラニフやビームスのTシャツを着て―先生は、東京の人になったつもりでいました。

 成人式で地元に帰って愕然としました。もうこの街に先生の居場所はないし、いたくもないと思いました。ヤンキーは相変わらずヤンキーのまま偉そうにしていたし、近所の適当な大学に通う元同級生たちは、久々に会った私を駅前のマックに連れて行って、怪盗ロワイヤルなんかの話を延々としていました。

 この街の人生に上昇も下降もありません。この背の低い灰色の街のそのまっ平らな稜線のように。なんとなく生まれ、なんとなく大学は出て、なんとなく就職して、なんとなく結婚して、なんとなく子どもを産んで、なんとなく家を買って―逃げることを諦めた動物園の檻の中の猿のように、この街の人々はなんとなく生きている。当時の先生の目にはそう映りました。

 先生は彼らと違うんだと、そう思いました。先生は先祖代々続いてきた怠惰と無能の鎖をまさしく自分の力で引きちぎり、一族で初めて東京に出て、そこで成功して、二度とこの街に戻ってこないんだと、そう信じていました。帰りの新幹線。東京駅のホームから丸の内の端正な街並みが見えたときの、あのときの気持ち。

 せっかくだからと教員免許は取るだけ取って、先生はメーカーに就職しました。丸の内に本社がある一流メーカーです。麻布テーラーで作った黒いスーツを着て、先生は仲通りを歩きました。入社式のあの春の日。空はどんよりと曇っていて、新宿の伊勢丹で買った新品のイギリス製の革靴にはどこかで擦ったのか小さな傷が付いていました。先生は仲通りを歩きました。このうつくしい街並みのようなうつくしい未来を、先生は信じていました。

 研修を一通りやって、先生は本社のグローバルマーケティング部門を希望していました。配属は僻地の工場の総務人事。最悪です。縁もゆかりもない北陸のその街は、ゾッとするほどにこの街と似ていました。イオンとドンキ。パチンコと風俗。どこまでも続くように感じられる、長い長い灰色の国道18号線。

 東京から来た人は先生とあと二人くらいで、残りは地元の人ばかりでした。彼らは最年少の、それも東京ぶってるけどまた別の田舎町出身の早稲田卒が、この田舎町を軽蔑していることを察知しました。先生は甘くて飲めたもんじゃない缶コーヒーを断り、家で淹れてきた清澄白河のカフェのオリジナルブレンドを飲んでいました。

 いじめらしいいじめがあったわけではありません。しかし、嫌われて誰からも話しかけてもらえないことで、先生の心は徐々に削られてゆきました。先生は定時になると逃げるように退勤して、あてもなくヴィッツを走らせながら、車内で衝動的に大声で叫んだりしていました。誰にも届かない叫び。

 ある朝。工場みんなでラジオ体操をしている途中で先生は吐きました。古いスピーカーから流れる陽気なラジオ体操の音楽。地獄のような僻地工場勤務の一日の始まりを告げる音楽。先生は屈み込んだまま立ち上がれなくなって、あの日仲通りを歩いた毎週末ピカピカに磨き上げていたイギリス製の革靴がゲロまみれになっているのを見て、もう無理だ、と思いました。

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あざぶけいばじょう
1991年生まれ。

Twitter@63cities


(イラスト:岡村優太)

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