2026.6.24
「それは私でも楽しめますか?」質問箱で実感する教養主義の退潮【こんな質問が来る 第9回】
ジロウがXに返答やリアクションを載せると、たびたびSNS上での「バズ」や時に「炎上」が起きる……
前回は、よくある「親孝行」に関する質問を取り上げました。
今回は、中井さんを憤怒させてしまう(?)映画等のオススメ作品についての質問です。

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様々な文脈での教養主義の退潮
たとえば、こんな質問が来る。
「それは私でも楽しめますか?」
思わず叫び出したくなるくらいカチンと来る(だいたい本当に叫んでいる)。これ以上ないくらい的確なアッパーカットで僕の逆鱗をこそぎ取ってゆく、定番の質問である。
人によっても違うのだろうが、僕の場合、この手の質問を呼び寄せてしまう話題は映画が多い。たいてい僕が最近お気に入りの作品や昔から愛してやまない作品への思い入れを機嫌よく連投しているときに、「それは私でも楽しめますか?」という問いが質問箱に投げ込まれる。
そうはいっても常日頃インターネットやSNSで飛び交っている匿名の罵詈雑言に比べたら、いささか無防備ではあるが、攻撃的なものではない。なにより、本人に悪気なんてまったくないだろう。
嗚呼、しかし。悲しくもわれわれは、いつだってすれちがう。
長いインターネット歴のあいだで、あらゆる無作法な言葉をやり過ごすのにすっかり慣れた僕にとっても、なぜかよほど苦手な質問らしい。何年待っても終わりがないし、僕の方にも一向に免疫が形成されない。毎回新鮮に「きー!!」などと奇声を発している。
よくよく考えてみるとこの質問がカチンと来るのは、僕が大切に思う映画に、まだ観てもいないうちからケチをつけに来られた気がするからかもしれない。オタク丸出しで熱っぽく思い入れを語っているときに、横から「でも私には面白くないかも……」というネガティブな可能性を投げ込まれるからだろう。機嫌よくスキップしていたら、石を転がされてつまずくようなものである。
興味を持つことは悪いことではないのだが、人の愛や情熱に、自分だけ保険をかけるような不誠実さで触れるのは無粋だよ、と思う。一方で、こればかりは分からない人には永遠に分からないかもしれないなあ、とも思うのだが。いずれにせよ熱には痛みがつきものなのだ。
しかし、やはり、「知らんがな」なのである。
こればかりはいかんともし難い。まず「私(あなた)」のことを僕は何も知らないのだ。本当に何も。とくに昨今のSNSネイティブ世代の若者にとって、高度に発達した彼らのネットリテラシーはある種の「仕草」となって匿名空間での彼らの言動に染みついている。それは隠すことである。とくに公開かつ匿名のやりとりにおいては、性別や年齢、立場など、個人に繋がるような自分のあらゆる属性を示す徴をことごとく自分の発信から消そうとする。もちろんトラブル回避のためである。
そして、言葉遣いから、行間から、「私」の姿を読み解かせまいと慎重に訓練を重ね、無意識に心身に染みつくまで鍛えてきたその透明な「仕草」のまま、僕に問うのである。「それは私でも楽しめますか?」と。
分かる。分かるのだが、それじゃあ、分からんのよ……。
これまでどんなやりとりがあったかな……と思って「おすすめの映画」で自分の過去のポストを検索してみると、そこには何年ものあいだ、何も見えない透明な空間に向かってずっとひとりでキレ散らかしている男がいる。本当にこいつは哀れな中年だな……と、しみじみしてしまった。人はこうやって勝手に孤独になっていくのだ。
そもそもこのようなすれ違いが頻発する背景には、オタクにしろサブカルにしろ、様々な文脈における教養主義の退潮ということも大きいだろう。つまり、「とにかく黙ってこれを観ろ!」という王道の名画リストのようなものが権威を失って久しいということである。それはたとえば、自分にはつまらなくても我慢して観る、観たという既成事実の方が大事だから……と人々に信仰されていたような権威である。
文学や美術、音楽などもそうであったが、映画を観ることもまた、少なくない人にとって、単に「楽しめそうだから観る」というだけのものではなかった。それはしばしば、「なりたい自分になるために観る」ものでもあったのだ。しかし、いま人々が知りたいのは、それぞれのジャンルにおける自分の教養ランキングを高めてくれるような作品ではない。
だが教養主義という共通の価値観が消えたということは、薦める側も「とにかく名作だからこれを観ろ!」の一言で済ませることができなくなったということである。王道リストを順にひとつひとつ履修していくようなカリキュラムとちがって、「私も楽しめる」作品の正解はまさに人それぞれなのだ。薦める側としても、ひとりひとりにそれぞれ固有の事情を聞き出さないかぎり、何も薦められなくなったのである。
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