2026.9.2
受験と小説新人賞は本当に似ているのか?【新人賞コンプレックス 第5回】
小説家としてデビューするまで「8浪」かかったという大滝さんは、現在でも「新人賞コンプレックス」を抱えているそうです。
そんな大滝さんが、強烈な「新人賞コンプレックス」を抱えた人間たちを描く、前代未聞のエッセイです。
前回、作家志望者の「トガり」をテーマにしました。
今回は、「受験と小説新人賞は本当に似ているのか?」という問いを深堀りします。

記事が続きます
デビューしてもう何年も経つのにまだ新人賞の話ばかりしている恥ずかしい作家がいる。私である。
小説家の登竜門である「新人賞」を受賞せずにデビューした私は「学歴コンプレックス」ならぬ「新人賞コンプレックス」を抱いているとは、この連載の最初に書いた通りである。同様のルートを経由してデビューした同業者によるとこれは、大学受験における「指定校推薦」みたいなもので、「一般受験」を勝ち抜いた同業者になんとなく負い目を感じるということもあるらしい。実際、この連載で登場したエンタメ新人賞界バーサーカー・ナオキ、純文学新人賞の覇王・リューノスケはともに「新人賞」に「大学受験」とのアナロジーを見出している。
私といえば、自分が世界一おもしろい小説を書いている自覚があり、向こう10年で5度はブッカー賞を受賞するだろうし、ジジイになってからは周りが「そろそろあげてもいいんじゃないか?」と長年の労を労うかたちでノーベル文学賞が授けられ、そのときの記念スピーチは文学史の輝かしい1ページとして残りまくるイメージをはっきり持てているので、そういう負い目とはぶっちぎりで無縁である。ただ、「新人賞で勝てなかった」という事実においてのみ、いまでも思い出すとウッとなる。古傷が疼くというか、そんな感じだ。
そしてやはりというか、この「新人賞落選」は「大学受験失敗」の記憶と綺麗に重なる。(ここまで書いて、私は人生で第一志望に通ったことがないことに気づいてしまった!)
というわけで今回は私の敗北の歴史を振り返りつつ、受験と新人賞がどれだけ似ていてどれだけ似ていないか、そして「小説を書く」という営為の深淵に迫りたい。
私の不合格体験記
私は第一志望の大学に合格できなかった。
それまで淡路島の山奥でのほほんと暮らしていたため、これが人生で初めての挫折となったわけだが、浪人はせず、後期日程で合格した大学に現役で入った。当時の私はかなり不満ではあったが、四十手前になったいま思うと十代のうちに経験しておくべき貴重な失敗だったと思う。ここでしばし、大滝少年の受験時代にお付き合いいただきたい。
母校は淡路島北部の公立高校だ。同じ中学の6割が進学する学校だった。医学部に行く奴から地元でヤンキーになる奴までさまざまな学力帯の人間が同じクラスにいた感じで、国公立合格は毎年10〜20人、5年にひとり京大に合格する神童が現れるという感じだった。
高2までの私は典型的な「数学しかできないヤツ」だったが、もともと知識を身につけたり、時間をかけて難しい問題を考えたりするのが好きだったのもあり、高3の春には数学以外の科目もそれなりにできるようになっていた。そこそこの国公立大学──担任の先生は「新幹線が止まる大学」と言っていた──の合格が現実味を帯びてくるラインだ。
地元では神戸大学に合格すると「神の子」として崇め奉られ、教員も成績が良い生徒を神戸大学にねじ込むシフトをとっていた。例に漏れず私も神戸大学をすすめられ、実際に模試ではかなり余裕をもってA判定が出ていた。しかし、私には進路選択において絶対に譲れないポイントがあった──
神戸大学へは死んでも行きたくない。
私は大学進学を機会に淡路島を脱出したかった。反教養主義的な価値観が染み付き、高い目標を持てば嘲笑され、知りたいことを教えてくれるひとがひとりもいないこの島を、私は憎んでいた。神戸大学は私の実家から一時間程度で通えてしまう──つまり、淡路島から出れない。
お笑い好きだった私は「大学生になったらbaseよしもとに通い詰めたい」という理由で大阪大学を第一志望にした。夏の模試でA判定が出て、理科さえ間に合えばまず落ちることはないだろうという感じになっていた。センター試験も秋ごろにはコツを掴みだし、直前期には「普通にやれば9割は取れる」くらいに仕上がっていた。
「心身ともに万全のコンディションで受けよう」
センター試験一週間前、クラスメイトのウチダが懐からおもむろに取り出したのは一枚のCDだった。蓮井朱夏名義で菅野美穂がリリースしたCD『ZOO〜愛をください〜』である。
教室の微かなざわめきのなか、私は周囲の視線が我々に向けられていないのを確認し、おそるおそるそれに手を伸ばす。開くと、そこには後に中国で空前の人気を誇ることとなる老師・蒼井そらのデビューDVDが収められていた。
私はなんとしても老師に謁見しなくてはならなかった。当時、私がDVDを視聴できたのは自宅リビングのプレステ2のみ。23時にはここをキャンプ地とすることができる見込みだったが、この日に限って姉がソファから動かず、持久戦を余儀なくされることとなり、さながら夜更かしの好きなフクロウからの朝寝坊のニワトリとなった。
結果、センター試験で歴史的惨敗を喫することとなった。
一週間前は「9割で耐え」とかぬかしていた私は「8割を切る」という大暴落ぶりで、そのまま逆転できず国公立前期試験に失敗する。
この事件はウチダによって「青天の霹靂」と命名され、今日に至る。
なぜ浪人しなかったのか?
何かに膨大な時間と労力をかけて挑戦する──そんな経験がそれまでなかったせいか、不合格はかなりキツかった。
たしか合格発表の日は中期試験(旧・大阪府立大学工学部)と被っていて、午後の試験では明らかに受験生が減っていたのを覚えている。私は「試験が終わるまで結果を見ない」という方針だったので最後まで会場にいたが、テスト終了後に母に電話し、自分の不合格を知ることになる。御堂筋線の果て「中百舌鳥」から淡路島まで号泣しながら帰ってきた。
前期に落ちたと知った瞬間、私は浪人をするつもりでいた。もう1年やれば志望校をワンランク上げても学力的には問題ないだろう──不貞腐れながらそんなことを考えていた私に、
「大滝くんに浪人は無理やで」
とピシャリと言い切った人間がいた。当時通っていた塾の先生である。
地元には大学受験向けの塾などなく、私が通っていたのは会社を早期退職した近所のおっちゃん(=先生)の家だった。おっちゃんの家でおっちゃんに数学を教わっていた。授業スタイルはおおらかで、まずおっちゃんは黒板に問題を書く。それを私が解き、できたら提出する。正解していたら「ほーん」と頷き、次の問題を黒板に書く。間違っていたら「へっ……」と鼻で笑い、答案をそのまま私に差し戻す。
合っているか間違っているかを通知するだけだった彼の、最初で最後の教えは私の人生を決定づけるものだった。
「わしはな、大滝くんがもう1年同じ勉強をできるとは思ってないんや」
私はおっちゃんをじっと見つめ、言葉を待った。
「まず本番に弱すぎる」
私は頷いた。むかしから極度のあがり症だった。中学のとき野球部に所属していたのだが、はじめてスタメン(8番サード)で出た試合で、1回表に2連続でファーストのはるか頭上へ悪送球をカマした。結果、1アウトも取れぬまま試合開始から3分でベンチに下げられ、以降一度もスタメンの機会が得られなかった。
「あと、こっちが深刻なんやけど……ぶっちゃけもう飽きとるやろ?」
図星だった。
私は受験失敗の理由をセンター試験前日の深夜に老師謁見の儀をとりおこなったからだと思っていたが、本当はそうじゃなかった。先生は、私がしていたのは「合格する勉強」ではなかったと指摘した。
受験の鉄則は「多数が正解する問題を取りこぼさない」ことである。難しい問題はみんな間違えるので差がつかない。だから基礎を狂ったように反復し、脊髄反射で答えられるくらいにしておかねば本番で下振れを引きやすくなる。私は基礎を反復しなかった。見たらわかる問題は二度解く必要がないと思っていた。そんなことより、難しい問題を時間をかけて考えたり、微分方程式など大学の解析学を使って解くなど、自分の興味・関心に従った勉強しかしていなかったのだ。
「この1年、基礎からおんなじ勉強をするか、新しい勉強をはじめるか……どっちが自分に向いとるんかしっかり考えや」
国公立の中期と後期は「第1志望ではない」せいかリラックスして試験に取り組め、なんとか合格することができた。もともと大阪に行きたくて大阪の大学を目指していたが、受験時に訪れた街の印象──中百舌鳥VS京都──で、私は進学先に後期で合格した京都工芸繊維大学を選んだ。
大しくじりをやらかしたセンター試験直後にはじめて知った大学だったが、このとき京都を選んだからこそ現在の私がある。
「新人賞」と「受験」は本当に似ているのか?
いったんまとめておこう。
私は「本番の弱さ」と「対策意識の弱さ」が致命傷となり、大学受験に失敗した。そして生来の飽き性ゆえ、おそらく浪人しても第一志望合格は難しかっただろう。
受験における点数(スコア)や合格/不合格のように一定の競技性がある場合、その準備には徹底したストイックさが不可欠となる。本番当日のコンディションの影響を最小化すること──つまり大学受験における「勉強」とは、「上振れ値を上げる」ことではなく「下振れ値を上げる」ことであり、合否という最終結果から「運」の余地を消すことである。新人賞バーサーカー・ナオキが座右に置く名将・野村克也の名言「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とはまさにこれだ。
ではこれを踏まえ、新人賞を考えてみるとどうだろう。
何度も書いてきた通り、私は新人賞で8浪し、結果「合格」することなくデビューすることとなり、そのせいで新人賞コンプレックスを拗らせているわけだが、ここできちんと「大学受験」と「新人賞」を比較すれば、私のコンプレックス解消の糸口を掴めるかもしれない……!
まずは両者の共通点と違いをざっくり表にまとめてみよう。

ナオキは新人賞を「受験に近いゲーム性がある」と評したのだが、これは成績順位が発生することに由来していると考えた。受験では言わずもがな、それは「偏差値」や「東大A判定」になるのだが、新人賞でそれは「〇次選考通過」に該当する。
いうまでもないが、こうした数値化が「競技性」を生んでいる。「頭の良さ」や「文学的な価値」というのはほんらい比較を拒むものであるけれど、試験や賞レースの場では「順位」や「ランク付け」がなされる。合格者/受賞者を決めるというシステム上の便宜であるはずだったこれらだが、模試や成績開示、予選通過者発表により可視化されることで、受験者/応募者にとっての「優秀さ」という解釈の余地が生まれた。合格/受賞しなければ意味のない世界であるが、こうした「実績」によるマウンティングはめずらしくなく、詳細はリューノスケの作品群に詳しいのでそちらに譲る。
続いてより踏み込んで「評価」に注目してみよう。日本の大学受験ではペーパーテストがメインで明確な採点基準のもと厳格に点数が与えられる一方、小説にはそのようなことは難しい。よって前者は定量的、後者は定性的な評価が下されることになる。
評価性質が異なれば当然対策も変わる。大学受験はテストの科目・出題形式・傾向がはっきり出ていて、さらに各科目の学習方法がきちんと体系化されている。なので「何をどれだけやれば××点は獲れる」みたいな戦略を立てることができ、たとえ不合格になったとしても学習進捗を翌年に繰り越すことができるので、いわゆる「浪人」の成功率が高い。
新人賞はそうした戦略が成り立たない。傾向がないわけではないが、一定の思想を持った競技はかならず「傾向」を持ち、「傾向がない」さえ「傾向」になる。しかし新人賞は評価が定性的かつ属人的であるため、たとえ傾向を見出したとしても大学受験のように「どこで何点獲る」みたいな具体的な戦略は立てられないのだ。「前年が最終候補で、選評で指摘された弱点を潰して翌年も応募したら1次落ちだった!」がめずらしくない。つまり、大学受験における「学力」にあたるものを翌年に持ち越せないのである。
この違いは私が「大学受験で浪人はできなかったのに、新人賞では平気で8浪できた」ことにも関係があるんじゃないかと睨んでいる。私はそもそも順位やランキングというものに興味が持てなかった。中学・高校の頃の好きな科目は数学だったが、最終的な答えが合う/合わないはどうでもよかった。私が好きだったのは答案作りで、おなじ問題でいくつ別解が作れるか、どれだけ証明をカッコよくできるかに熱中していた。途中でケアレスミスをしても、それをなくす対策や基礎的な計算力の鍛え直しなどの地味な努力を、どうしてもやる気になれなかった。「大学受験」というゲームをやりこめなかった。
今になって思えば「答案を作る」という行為こそ小説であり、形式や表現の実験性を重視する現在の私の作家性そのものになっている。新人賞を8浪したのは「小説を仕事にしたい」という気持ちからであるけれど、「絶対的な正解」に基づいたゲームをやり込まなくてよかったからなんじゃないか。「間違った答案を作る」という不毛に思える行為が「表現」になるのが小説で、「新人賞」は評価が定性的・属人的であるがゆえ、そうしたものをときどき受け入れてくれる場所でもあった。
私のような何から何まで間違えた人間が勘違いしてしまうので、新人賞多浪沼が発生してしまっている気もしないではないが……
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