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受験と小説新人賞は本当に似ているのか?【新人賞コンプレックス 第5回】

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小説のことは室伏に聞け!

 さて表にまとめた最後の項目「アスリート性」について考えてみよう。
 私の高校時代の「本番」の弱さはすでに述べたが、現場で実力をしっかり発揮する勝負強さは「大学受験」というゲームでは不可欠である。日々の体調管理はもちろん、本番を想定したコンディション調整法なども重要な「戦略」になりうる。
 対して「新人賞」には本番がない。
 提出締め切りまでに作品を提出すればいいだけなので、そのあいだにどれだけ間違えても構わないし、間違えても修正すればいいだけだ。これは本番行為に対して極端な苦手意識を持つ私には向いていたと言えるだろう。センター試験前日に老師に謁見し大きく調子を崩すことはあっても、新人賞応募締め切り当日に最強ヒロインを眼福に収めたがために落選したという事例は未だ聞いたことがなく、これからも聞くことはないだろう。
 こう考えると、大学受験生はアスリート的で新人賞応募者はそれとは対極にあるように思われる。しかし、新人賞という枠を外し「小説創作(=表現活動)」で考えてみると、小説家もまたアスリート性(=本番力)が必要であることに私は気づいた。

 その例として、私の執筆生活をご覧いただきたい。
 私は平日日中の午前9時から午後3時を小説業の時間としている。仕事に必要な読書や打ち合わせや各種雑務をこの時間にあてている。さらに原稿を書くための着想が降りてくるのを待ったり(これを私は「天使待ち」と呼んでいる)、書くことは決まったが書くべきタイミングを見計らったり(これを「風読み」と呼んでいる)、原稿に向かう前にすべきことは多く、実際にキーボードを叩いている時間は1日のうちで1時間あればかなりやったほうかもしれない。

 要するに、小説はいつ書いてもよいのだが、いつ書いてもよいというわけではないのである……なんて言い方はあまりにも詭弁が過ぎるが、言わんとしていることを汲み取っていただけるとありがたい。執筆時間を無理やり長くとったところで、「使える文章」が増えるわけでもない。「使い物になる文章」を生み出せる状態を作り出すことこそが真の仕事──そのために私は〝天使〟を待ち、〝風〟を読んでいるのだ。決してサボっているわけではない。
 すると「どうすれば小説が上手くなるのか」という問題は、「天使待ち」や「風読み」の時間を最小化することに関わってくる。ひらめきや調子といった偶発的に思える要素を「制御可能」にするにはどうしたらよいのか……これはほぼ、アスリートの調整方法と同じ発想である。つまり、日々の執筆という「本番」でパフォーマンスを十二分に発揮できるように、身体を仕上げていく必要が小説家にはあるのだ。

 そこで私が参考にしたのは世界的アスリート・室伏広治である。
 室伏は日常的なトレーニングで集中することの重要性を強く説いており、じゅうぶんに集中しての練習ができないなら休養をとった方がよいとまで言う。これは私が「天使待ち」や「風読み」をしたりする理由とほとんど同じだろう。その集中方法は『ゾーンの入り方 超一流アスリート直伝! ベストを生む集中法の決定版』(集英社新書)に書いているのだが、残念ながら私は彼の独特の呼吸法を習得するまでは至っていない。
 しかし、大きなヒントがあった。
 室伏によれば集中とは、環境や道具と一体化することであり、その感覚を得ることができればあらゆる外的要因によらずパフォーマンスを発揮できるという。彼が日頃の練習で心掛けているのは「単調な反復にならないこと」であり、同じことを繰り返すのではなく、変則的なことを入れて脳も働かせていくことが大事だと主張する。
 実際に、彼は印象的なエクササイズを紹介している。新聞紙を片手で持ち、それをそのまま片手だけで空中で手繰り寄せながら手の中に丸めていくというものだ。これは瞬間ごとに変化する新聞紙の状態や変化を手で感知しながら細かな動きを決定していかなくてはならない。やってみたが、めっちゃ腕が攣りそうになる。そして「脳が疲れる」という感覚もわからなくはない。なんか「いい゛ー!」となるたびに、後頭部の方がカッとする。
 これはつまり新聞紙のランダムな変化、つまり環境による偶発性へ適応する練習でもある。「本番」という概念は、環境を構成する数多の偶発性を無視できない。かといって、偶発性に無防備であれば何でもかんでもが「運任せ」になりすぎてしまうし、結果が振るわなかったときも実のある原因分析ができなくなるだろう。「偶然を味方につける」とまではいかなくても、偶発性を乗りこなすくらいの適応能力が「本番」でのパフォーマンスを安定させる。

 以上を踏まえ、表1は以下の表2のように修正してみよう。

 こうしてみると新人賞というものの異質さが際立ってくる──新人賞は事実上「表現者の受験」であるのだが、「競技性」と「アスリート性(=本番力)」において奇妙にねじれているのだ。競技性がないはずの表現活動に競技性が形成され、本番に該当するものがないレースの戦闘力は日々の「本番」の蓄積で高められる。これは新人賞を取ることと小説を書き続けることの違いそのものであり、新人賞的小説観が内面化するほど両者のギャップに苦しむこととなる。これが「多浪こじらせ」や「新人賞コンプ」の核だろうと睨んでいる。

 過去を振り返って確信したのだが、私が大学受験を失敗した原因である「基礎固めの反復練習ができない」「ゲームで勝つことよりも知的好奇心を重視する」という性質は、文芸創作との相性の良さでもあった。大学に落ちたのも、いま小説家をしているのも、ある意味当然の成り行きかもしれない。
 しかし自身の長所を保ちながらも、この短所は他ならぬ室伏の新聞紙トレーニングで克服できたのも事実だ。もし私がいま高校生に戻るなら、毎日片手で新聞紙を丸めるトレーニングを欠かさずおこなうだろう。それさえやっておけば、東京大学理科Ⅲ類の合格もじゅうぶん現実味を帯びていたはずである。そして、新人賞で8浪することもなかっただろう。

 次回連載第6回は10/7(水)公開予定です。

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大滝瓶太

作家。1986年生まれ。兵庫県淡路市出身。京都大学大学院工学研究科(博士後期課程)を単位取得満期退学。2018年、第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞。2023年、初のミステリー作品にして単著デビュー作『その謎を解いてはいけない』を刊行。他の著書に『花ざかりの方程式』、エッセイに『理系の読み方』。最新刊は『口笛吹きと音楽の犬』。

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