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推しのスキャンダルに直面して、どう生きていけばいいのか?【こんな質問が来る 第11回】

社会学者の中井治郎さんが運用する「ジロウ」というX(旧Twitter)のアカウントには、匿名で質問を投稿できるウェブサービスを通して毎日50個以上の質問が届く。
ジロウがXに返答やリアクションを載せると、たびたびSNS上での「バズ」や時に「炎上」が起きる……

前回は、「おじさん構文」を男女問わず使ってしまう理由を考えました。
今回のテーマは「推し」。推しの不祥事や裏切りに直面した人から投げかけられる質問があります。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

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「推す者」にいつかやってくるその日へのカウントダウン

 たとえば、こんな質問が来る。

「ついにわが推しにも熱愛報道が出ました。これからどうやって生きていけばいいですか」

 覚悟はしていた。覚悟はしていたのだけれども……と、なんとか衝撃を吸収しようとしているうちに思わずうちの質問箱に飛び込んでしまったのだろう。こんな場所に救いがあるとも思っていないだろうに、きっと動揺しているのだな、かわいそうに、と思う。いや、思っています。本当です。

 いまや、「推し」のある暮らしは一部の人々だけのものではない。しかし、いちど、「推す者」となったその瞬間から、いつかやってくるその日へのカウントダウンが始まる。熱愛報道、結婚報告、不祥事やスキャンダル、グループからの卒業、そして引退。いずれにせよ、どんな推しも生身の人間であるかぎり永遠ではない。その日はかならずやってくる。

 今日はその日についての話をしよう。

「一緒に歳を重ねていく予定だった推しが炎上でいなくなった」
「私は好きになったものにつくづく裏切られる」
「人として好きと思っていた推しほど最終的に嫌いになる」
 
 うちの質問箱には動揺の声ばかりではなく、それほど長くはないであろうそれぞれの人生のうちに何度も、自らの推しの「その日」を経験し、もはや心に虚無と諦念の空洞を抱えた人々のお便りもよく届く。いずれも諸行無常の響きである。しかし、これは別にうちの質問箱にかぎった話ではない。

「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった」

 これは数あるネットミームのなかでも、とくに長く語り継がれて、いや、貼り継がれてきた詠み人知らずの名文である。もとは、とある人気声優の同棲報道を知ったファンがネット掲示板に書き込んだ言葉であった。「その日」に書き込まれた数えきれないほどの悲鳴や悲嘆のなかから、この一行だけが生き延びた。そして、令和の世になっても耐えがたい心の痛みと受け入れがたい喪失感を表現する言葉として貼り継がれることとなったものである。現代の万葉集はこのように生まれるのだなとつくづく思う。

 ファンを辞めることをインターネットで宣言する文章、「担降りブログ」や「担降り文学」もまさにこの系譜にある。多くはこれまでの思い出や思い入れ、そして「裏切られた」怒りや悲しみ、喪失感と決別の決意が綴られており、しばしば胸に迫る名文として話題となる。

 しかし、そもそも、なぜ「こんな思い」をしなくてはいけないのか。

 そんなことを考えていると、こんなお便りも届く。

「有名人のスキャンダルや熱愛報道で関係者でもない人が怒ったりファンを辞めたりする気持ちがわかりません。推しに押しつけた夢を壊されたということなんでしょうか?」

 たしかに、これもひとつの正論である。スキャンダルだ熱愛報道だといっても、推す者たちは推しの恋人でも婚約者でもないはずだ。では、いったい彼らは何を失い、何を痛めているのであろうか。そして、彼らは本当に「関係者でもない」のだろうか。

「推し」という言葉が普及する一方で、以前ほどには聞かれなくなったネットミームがある。「俺の嫁」である。「俺の嫁」と「推し」を比較すると、両者とも憧れや愛情の表現ではあるが、語の選び方の違いは明白だ。「所有の宣言」と「距離のある応援」である。

「推し」の興味深いところは、その言葉がネットやエンタメ空間から溢れ出て、リアルの人間関係にも適用されるようになったことである。学校や職場において、「あの人のファン」くらいの意味で用いられるものだが、本人に面と向かって使用されることも多く、うちの質問箱ではそのことへの苦情もよく見かける。

「いろんな男性に推しと言われてきましたが(……)推しと言いつつ好きってことか?と思っていると、全員マチアプで彼女作ってたりするので本当に不思議です」

「好きな女の子のことを推しっていう男、だせぇよな」

 こんなふうに「不思議だ」とモヤモヤしたり、「だせぇ」とお怒りになったりするのは、そこに「ワンチャンあれば嬉しいけど自分からリスクを取って告白するつもりまではないから、まあ、気が向いたらそっちの責任で告白してきてよ」という相手の生々しい本音(それが事実かどうかはさておき)を読み込んでしまうからだろう。つまり「あわよくば」ということである。

「好き」と伝えると告白となってしまうから、フラれるリスクが発生する。しかし、「推します」だと先方にはそれを拒否するすべもない。だから、ノーリスク・ノーダメージで好意を伝えることができる、ということらしい。

 しかし、拒否されることがないということは、自分の存在を受け入れられる機会もない。「推し」という関係の名づけは、意識的にせよ、無意識的にせよ、相手と自分の距離を遠いままに固定する。そして、それゆえに安全なのである。

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中井治郎

(なかい・じろう)
1977年、大阪府生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『パンクする京都』『観光は滅びない』『日本のふしぎな夫婦同姓』がある。

X(旧Twitter)@jiro6663

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