2026.4.30
こうして私は小説新人賞コンプレックスになった【新人賞コンプレックス 第1回】
小説家としてデビューするまで「8浪」かかったという大滝さんは、現在でも「新人賞コンプレックス」を抱えているそうです。
そんな大滝さんが、強烈な「新人賞コンプレックス」を抱えた人間たちを描く、前代未聞のエッセイです!

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デビューしてもう何年も経つのにまだ新人賞の話をしている恥ずかしい作家がいる。私である。
本連載をはじめるにあたり、まずは自己紹介をさせていただきたい。
私は「大滝瓶太」という名前で小説家をしている。もちろん本名ではない。アマチュア時代、飲み屋でマスターと常連さんにペンネームの相談をしていたらいろいろあって隣の客にビンタされたことに由来するが、いまの時代にそぐわないエピソードなので公式的にはミルハウザーの短編「平手打ち」からとってきていることにしている。ちなみに「大滝」は「瓶太」に対する名字でもっとも姓名判断の結果が良いから採用した。
昭和61年生まれで、家族は妻と3人の子どもがいる。小説家以外の仕事はしておらず、カッコよく言えば「専業作家」だが、限りなく専業主夫に近い。あと作品発表ペースはクソ遅い。以上から、「売れていない作家」をイメージすれば、それがそのまま私になると考えて差し支えない。
さて本連載のテーマは小説家の登竜門である「新人賞」である。
これから私の迸る文才から矢継ぎ早に繰り出されるユーモアと知性の炸裂が予定されているが、いきなり披露すると読者各位への身体的負担が懸念される。準備不足は故障につながりかねないので、今回は軽いアップもかねて「新人賞というシステム」と「ある非新人賞作家の来歴」を紹介しよう。
「新人賞」の仕組みをご存知ですか?
文芸出版とは縁遠い生活をしていると、そもそも小説家になる方法がわからないだろう。私も読書を1ミリもしなかったとき、なんか野生のヤベェ奴がイケてる編集者に捕獲されて文明社会に放たれているような印象があり、小説家なんてなろうと思ってなる仕事じゃないイメージがあった。もちろん、そんなワケがない。生まれながらの「才能」がモノをいう世界だと思われがちだが、実際はわりと泥臭い努力や活動の末に成立する職業である。現代の小説家のほとんどはまっとうな社会人で、いわゆる奇人変人に類する小説家はほとんど見かけない。
では、小説家になるのは大変なのだろうか? 最初にぶっちゃけて言えば、小説家は資格が必要な仕事じゃないので著作がなくとも「私は小説家です」と名乗りさえすれば小説家にはなれる。ただその場合の問題は「自称小説家」の社会的信用はめちゃめちゃ低いことである。いきなり小説家を名乗り出すとヤバい奴として見られることは想像に難くないだろう。だから誰かに「あんたは小説家だよ」と言ってもらったほうが良いわけだ。
そこで「新人賞」である。
新人賞とは、出版社が新人発掘の名目で行なっている原稿募集のことだ。似て非なる業界である「マンガ」では、出版社にアポをとって原稿を直接読んでもらう「持ち込み」が盛んに行われているが、小説業界では特例を除いてほとんどない。単純にマンガと違って小説は読むのに時間がかかるから「持ち込み」には向いていないのだ。実際に小説を持ち込もうと出版社に電話などで突撃すると「新人賞に送ってください」の一言でいなされるように、新人賞は実質的に持ち込み原稿の窓口になっている。応募数はジャンルにもよるが、一般文芸の人気の賞だと中短編なら2500作程度、長編なら500作程度といったところだろうか。
では新人賞のプロセスを見てみよう。
応募原稿は1次選考、2次選考……と複数回の審査を通して数が絞られていく。この選考は俗に「下読み」と呼ばれ、出版社の編集者や評論家、若手作家などが担当する。選考過程は賞によって異なるが、一般的には応募作のうち数10作程度を割り当てられ、すべての作品に評価をつけ、上位を次の選考に残す。
ちなみに下読み選考を通過すると「新人賞予選通過作」として文芸誌の誌面に筆名と作品タイトルが掲載される。2次選考、3次選考と上位になると、自分の名前の上に⚪︎や⭐︎がつく。もちろん、ここに名前が載ったからといってデビューできるわけではないし、編集者との繋がりができたり具体的なアドバイスをもらえたりするわけではない。
ただし凄まじい脳汁が出る。ひとひとりの人生を狂わせるほど重要なので太字にさせてもらった。マジで名前が載るだけなのだが、私がはじめてこれを経験したときは雷に打たれたかのように全身が痺れた。ヤバいなと思った。これはもう作家だわ、と。華々しいデビューのみならず、デビュー作でそのまま芥川賞の受賞し、大江健三郎との対談では「大江さんの作家としてのターニングポイントって『芽むしり仔撃ち』だったと思うんですよね」と私は鋭く指摘してみせ、かのノーベル文学賞作家が好好爺然と表情を緩ませながら緩慢に──そして思慮深く──頷くシーンがはっきりとイメージできた。「名前が載る」の初体験はそれほどの衝撃があったというのはぜひ皆さんにも知っていただきたい。
さて、下読みを通過すると、人気作家5人ほどの選考委員による最終選考が行われる。最終選考に残ると編集部から電話がかかってくるのだが、これが受賞作発表の2ヶ月前くらいで、逆に「10月発表の賞に応募したのに8月になっても電話がかかってこない」という理由で発表前に自身の落選を知ることもある。3月末締め切りで秋に結果発表の新人賞は多いので、どうか夏は新人賞応募者へ不用意に電話をしないであげて欲しい。ちなみに私はこのステージまで進んだことは一度もない。
この電話では「最終候補になった」という事実の報告、編集者との顔合わせの打診がくる。経験者に聞くと、この打ち合わせでは「特に大きく参考にした作品などはあるか?」という謎の質問が飛んできたそうだ。
何が言いたいのか分かりづらいが、おそらくは「盗作」の恐れがないかのチェックと思われる。受賞が決まった後に盗作であることが発覚すると当然取り消さなくてはならなくなるし、出版社としても時間とお金をかけて何も成果を得られないという最悪な結果になる。最近では受賞作が生成AIにより作られた作品だと発覚し、受賞取り消しとなった事件もあった。
そして最終選考で選考委員の支持を集め受賞となれば、その面々の社会的信用を継承するかたちで晴れて小説家としてデビューできるというわけだ。
新人賞デビューと非新人賞デビューの違いとは?
細々とした話をしたが、新人賞とは出版社が「持ち込まれてきた原稿を一気に捌く」場所である。そして受賞者は出版社や選考委員の後押しを受け「他称作家」になる。小説家志望の視点から見ると、新人賞とは「社会的信用を継承させる装置」といえよう。いわゆる権威というやつである。
しかし今では同人活動やSNSのバズで注目されてデビューするケースや、WEBコンテストの拾い上げデビュー(=落選したものの作品を評価する編集者が現れて書籍化)など新人賞以外のところからのデビューも増えている。これは小説投稿サイトや文学フリマやSNSの賑わい、一人出版社など小規模出版の活発化など、かつてに比べ自主的に作品発表しやすい環境が整ったのが大きな要因だろう。わざわざ他人に「あなたは小説家です」と言われなくても、自分で小説家になれる時代がきたとも考えられ、個人的には喜ばしく思っている。トップダウン式の権威継承システムで回っていた文芸業界が民主化したのだ。
さて、では新人賞デビューとそれ以外のデビューでは何が違うのだろう?
これは完全に持論であるが、もっとも大きな違いは「版元の責任」である。
新人賞は出版社が時間とお金をかけて新人を発掘しているゆえ、そのコスト以上の成果が必要だ。なのでデビューさせた新人を「稼げる作家」に育成する責任を負うことになる。
一方で非新人賞デビューは、新人賞のような規模の投資があったわけじゃない。熱心な編集者の剛腕で雑誌掲載や書籍化に至るわけだが、あえて感じの悪い言葉を使うと「ワンチャン売れたらラッキー」的な感じだ。回収すべきコストがないからこそ思い切った本づくりができるというメリットもあるけれど、作家として長くやっていくなら「次」があるのかは難しい話である。新人賞のように版元に責任があるデビューなら「3作出してその過程で成長してもらおう」みたいな教育的な計画もあるだろうが、非新人賞デビューの作家には、出版社がそこまで面倒を見るだけの理由がない。
スーパーマリオ的な例えをするなら、新人賞デビューは残機3、非新人賞デビューは残機0で作家業を始めることになる。
私が小説家になるまで
新人賞についての大まかな説明が終わったので、今度はひとまず私の話をさせていただきたい。私の商業誌デビューは2018年である。書肆侃侃房が出版していた文学ムック『たべるのがおそい』で短編の公募があり、当選作として掲載された。プロセス自体は新人賞っぽいのだが、特に文学賞という触れ込みではなかったので割とヌルッと出てきた感じだ。なお、同時期に阿波しらさぎ文学賞という地方文学賞を受賞して、授賞式にも出席し、トークイベントでひと暴れしたのも良き思い出である。
ちなみに小説を書き始めたのは2010年で、それまでは小説などほとんど読んだことがなかった。
私は理系の大学院生で、自分は当時の専門分野で研究者になるものだと思っていた。修士課程2回生の時、私が筆頭著者として学術論文(査読付き、英語)を書くことになった。原稿を指導教員に渡すと「直す箇所は赤字でコメントしとくわ」と言われた。ドキドキしながら原稿が戻ってくるまでの1週間を過ごしたのを、いまでもよく覚えている。あいよ、と渡された原稿を見ると赤字は一切なかった。エッ!と先生の顔を見ると、彼は果てしなく長いため息をついてこう言った──「直すところが多すぎてもう私が全部書き直した」
あ、俺はこの分野の才能ねぇなと思った私は、現実から逃げるように小説を読みはじめた。なぜ小説だったのかは覚えていないが、朝永振一郎や湯川秀樹など優れた物理学者は優れた文学的センスがあるみたいなのに感化されたような気もする。ともあれ、当時住んでいた家の近くには恵文社一乗寺店という、バチクソおしゃれな本屋さんがあった。オシャレスポットでゲットしたとびきりオシャレな本を読んでやろう──そう思って手に取ったのが、川上未映子『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』である。私はこの出会いを一生忘れない。それくらい衝撃的な読書体験になったのだ。
この本はそもそも小説ではなく詩集で、当時の私はそれに気づかず小説と思い込んで読んでいたのだが、言葉や文章の組み立てかたに驚愕した。それまで「意味を伝える」や「わかりやすく端的に書く」といった理念に沿った文章が正しいと思っていたのだが、川上未映子の独創的な語彙の配置とアクロバティックな文章展開に、私の常識は完全にぶち壊された。そしてこんな文章を自分でも書いてみたいと思い、その3日後に人生初となる小説(4000字程度の掌編)を書き上げた。
書いた小説は片っ端から小説投稿サイトにアップしていた。この時期、ウルトラおもんない小説を2兆作ほど書いていた。互いの作品の感想を通して友だちもでき、オフ会も兼ねて同人誌を作って文フリに参加したりもした。そんなこんなで8年が経った。
20歳を超えたあたりから1年が異様に短く感じるようになったわけだが、20代半ばからの8年もマジで引くほど一瞬だった。この間に大学院生(修士課程)だった私は、博士課程に進学し、アメリカに留学し、結婚し、大学院を満期退学し、会社員になり、父親になり、会社を辞めた。この間、新人賞にガツガツ応募していたわけではない。会社に勤めていた2年間は短編ひとつさえ書きあげることができておらず、小説仲間からも「こいつはもう小説を書かへんな」と思われていたぐらいである。会社を辞めてからも家事育児に忙殺され、それを言い訳にダラダラやってい他ところ、先にデビューしていた友人から「もう君に小説を書けとか言うひとはいないからね」と普通に怒られ、慌てて書いた作品がデビュー作と地方文学賞の受賞作となった。
デビューできたことに関しては「嬉しい」よりも「ホッとした」という気持ちが強い。小説を書くことを職業にするのを明確に意識したのは小説を書きはじめて3年目、大学院で博士論文の執筆を諦めたときだが、はじめて学術論文を書いてから自分にこの道が向いていないのをなんとなく察していたし、いい加減な元来の性格のせいか、適当なことを適当に書き散らかせる小説にのめり込んでいた。小説という表現形式でやりたいことは日々増えていき、「これは小説でお金をもらえないととてもじゃないけどやりきれない」となって、小説を職業にしようと決めたのだった。
ずっと「自分は小説家になるだろう」と根拠のない自信があったけれど、いま思えば「小説家になれなかった人生」を考えないようにしていただけだったのかもしれない。確率的には大したキャリアもなく30歳で仕事を辞めた自分が、その後何者にもなれない可能性の方が高かったわけで、だからこそ「嬉しい」より「ホッとした」が心情的に勝っていたのだ。
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