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一人の人間として、親を見ることができるようになるまで 第6便 母親の気持ちの複雑さ

ともに翻訳家でエッセイストの村井理子さんとクォン・ナミさん。
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。

第1便と、第2便は韓国語でも読めます!


バナーイラスト 花松あゆみ

第6便

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 ナミ様

 寒い日が続いております。いかがお過ごしですか? 私が住む滋賀県は日本のなかでも寒く、雪の多い地域になるとは思いますが、きっとソウルのほうがずっと寒いですよね。体調を崩していらっしゃらないといいなと思いつつ、書いています。というのも……実は先週から胃腸炎になってしまいました! 
 仕事もあるし、介護もあるし、愛犬テオもいるしで、ただでさえ余裕のない日常が、ウイルスで強制的にストップすることに。とにかく、寝ることしかできないような状況でしたが、なんとか復活しつつあり、こうしてナミさんへお返事を書いております。ベッドで寝ていた時期は、TikTokでソウルのおすすめレストラン情報などを見て士気を高めておりました(笑)。チャミスルの瓶を回転させる方法も学びました。

 前回のお手紙で私は、「ナミさんにとって、家族とはどんな存在ですか?」という、あまりにも大きな問いを投げかけてしまいました。そんな重大なことを聞かれて、ナミさんもお困りだったのではと後になってから反省しました。
 私も実は、インタビューなどで「村井さんにとって家族とは?」と聞かれる機会が多々あり、その都度「わかりません」と率直に答えています。そして時々、「あなたにとって家族とはどんな存在ですか?」と、逆に質問してみることもあります。意地悪をしているわけじゃないのです。本当に、心から聞いてみたいのです。「あなたにとって、家族とは?」 
 私には家族がわからないのです。だから、ナミさんに無邪気にも聞いてしまったというわけです。「理子さんって、すごいことを聞く人だな」と思われたのではと心配になりました。
 それでも、ナミさんがご家族について書いて下さったこと、感謝しています。一年前のお母様のご逝去以降、家族のみなさんと距離を取られているということ、きっと大きな理由があったのだろうと想像しています。私自身も、家族という存在に悩みを抱えてきた人生だったので、ナミさんのご苦労が、ナミさんの文面から伝わるような気がしました。

 私も、連絡を絶っている家族(親族)がいます。日本では、「墓」が家族にとって大事なものとされ(韓国でも同じでしょう)、それをいかにして守っていくのかが課題です。しかし現代、ライフスタイルや価値観が変化していくなかで、一族の墓の維持が大きな負担になりつつあります。つまり、押し付け合いが始まるというわけです。私は何かと押しつけられる側になることが多く、その都度、大喧嘩になります。もしこれをなかたがいしている親戚が読んだら、「また理子のやつ、書きやがったな!」と、真っ赤な顔をして怒るでしょう。できるなら仲良くしたいけれど、人間同士の付き合いって、親戚だから常に円満ってわけにもいきませんよね。

 ナミさんが二十代中頃まで銭湯を経営されていたというご両親のお話を読んだ瞬間、その光景がふわっと浮かんで見えたような気がしました。不思議です。ナミさんの文章は私の頭のなかに、自動的に映像を再生するのです。木造の建物、忙しく働くご両親、温かい空気、そして走り回る五人の子どもたち。私には兄が一人しかおらず、兄弟姉妹が多い人を心からうらやましく思って生きてきましたが、それはそれで、悩みがあるに違いないと思います。きっとナミさんも、末っ子としての苦労を体験されることもあったでしょう。

 そして、親孝行DNAを持つ末っ子のナミさんは、ご両親の面倒を最後まで喜んで見られたということ。親子の関係とは、本当に不思議なものだと思わずにはいられません。そして私はいつも、神様は意地悪な存在だなとも思います。今となったら手に取るように理解できることが、若い頃にはまったく理解できないからです。特に、親に関してはそうなのではないでしょうか。親を親としてではなく、一人の人間として見ることができるようになるまで、あまりにも時間が必要です。前回のお手紙でナミさんが書いて下さったように、きっとご両親は必死に生き、そして育てておられたはず。その一文を読んで、きっと私の両親も、必死に生きて、必死に稼いでいたのだろうと思いました。お母様が亡くなる数日前に虚空に向かって話しかけていた言葉が胸を打ちました。

よく遊び、よく眠るテオさん
よく遊び、よく眠るテオさん

 私の母は、亡くなる数日前、病室に入ってきた兄に対して「出て行け! お願いだから出ていってくれ!」と必死の形相で叫びました。その瞬間まで、母は兄のことを心から愛しており、私よりも兄を大事に思っていると信じ込んでいました。それだけ、母は人生を懸けるようにして兄に尽くしていたからです。資金的援助だけに留まらず、とにかく、何もかも、自分の持っている全てを兄に、兄だけに、注ぎ込んでいました。それなのに、この世を去る直前になって、これ以上ないほど冷たく、きっぱりと兄を拒絶しました。兄は雷に打たれたように体を揺らし、そして病室から早足で出て行きました。兄のあの後ろ姿を忘れることができません。

 ナミさんのお母様の言葉、私の母の言葉。母親の気持ちの複雑さが胸に刺さりました。
 ナミさんがメールのなかで以前、「私たちって前世で双子に違いない!」と書いて下さったことがありましたよね。実は、あのとき、すごくうれしかったんです。というのも、私は子どもの頃から、双子に憧れていたし(まさか自分が双子の母になるとは思いませんでしたが)、お姉ちゃんか妹が欲しくてたまらなかったからです。兄は五歳上で話は合わないし、やんちゃな兄で遊んでいても楽しくありませんでした。だから、いつも、「双子だったらよかったのに」とか「妹がいたら楽しかっただろうなあ」なんて思っていました。この年齢になって翻訳ファミリーで双子になれたなんて!(笑)
 双子の息子たちが十八歳になって、ほぼ私の手を離れ、最近いろいろと考えるようになりました。私は母として百点満点ではないかもしれないけれど、少なくとも、今は元気で暮らしているし、息子たちの夕食を作るのを忘れるほど没頭できる翻訳という仕事があるんだから、なかなかいいお母さんをやれているんじゃないかなって。誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めることにしました。そしてナミさん。ナミさんも、「翻訳に生きている」方です。きっと娘さんは、そんなナミさんを見て、心から安心されていると思います(時々涙しちゃう気持ちもわかります)。

 二〇二五年、お互いに飛躍の一年でありますように。いや、無理矢理にでも飛躍の一年にしようではありませんか。昨年は愛するハリーが亡くなって筆を折りかけましたが、ナミさんに救われました。私もナミさんに何かお返しができるような一年であるよう、精進します。

 それではお体に気をつけてください。
 お返事、心から楽しみにしております。

 村井理子

琵琶湖付近を散歩中
琵琶湖付近を散歩中

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クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『ラストコールの殺人鬼』『射精責任』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로는 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』 『어둠 속으로 사라진 골든 스테이트 킬러』 『메이드의 수첩』 『배움의 발견』 『포식자: 전 미국을 경악하게 한, 잠복하는 연쇄 살인마』 『사라진 모험가』 『라스트 콜의 살인마』 『사정 책임』 등이 있다.

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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