よみタイ

お金への興味とチャレンジ精神の多寡が、格差や序列に比例する未来がすぐそこに? 第22回 遅ればせながらの金融教育

 お金のことだけではありません。タラントンのたとえを読んで「まずい」と思ったのは、挑戦する精神を持っている者はどんどん富み、そうでない者は持っていた物を失ってジリ貧になる、という挑戦第一主義の教えでした。
 主人は、商才もチャレンジ精神も持たない臆病な僕Cを哀れに思って、下働きとして雇い続けても良かったはずです。しかし主人はCの金をAに与えて、追い出した。商才もチャレンジ精神も持ったAはさらに豊かになり、そうでないCは金も居場所も無くしてしまうという、新自由主義的なたとえ話ではありませんか。Cを追放し、「死蔵は罪」と叩き込むことが、彼らにとっての優しさなのです。
 現在の世界の大金持ちの顔ぶれを見ると、インターネットの世界でチャレンジングな業態を起こした欧米人の顔ぶれが並んでいます。彼等は、日本の大金持ちとはケタの違うお金を稼ぎだし、そしてきっとじゃんじゃんチャリティーもしている(はず)。その源には、挑戦しない人は悪人と同じ、という感覚があるのかもしれません。
 挑戦しないやつは排除、という厳しい主人の姿勢を見て、私はまた「キリスト教、無理」と思ったことでした。トヨタにおけるカイゼンくらいのことにはご協力できそうな気はするけれど、スタートアップ起業を手がける、的な方向には確実に向かわない自分。留学すらしていない、何なら東京以外に住んだこともない自分の、ノーチャレンジ精神を突きつけられたような気持ちになったのです。
 「タラントンのたとえ」は、このようにかなりの衝撃を、私に与えたお話でした。だからこそ、若い世代への金融教育(ついでに言うなら性教育も)に関しては、「やっと始まったのか」との思いを抱いたのです。お金についても性についても、土俵に立たされてやっと「こういうものだったの!」ときようがくしてオタオタしながら戦ったら、途端に負けてしまうでしょう。しかしようやく、ルールや戦法を事前に学んだ若者が、土俵に立てるようになるのか、と。
 地球上の多くの人々は、持っているお金の多寡で、人生のかなりの部分が左右されます。人生が長くなればなるほど、「色々なものは、金次第なのだなぁ」という感慨は、強まりゆく。
「お金で買えないものもある」
 というのも、
「お金持ちでも不幸な人はいる」
 というのも事実だけれど、お金がかなりの幸福をもたらしてくれることもまた事実だし、お金で買える幸福とお金で買えない幸福は共存可能でもある。「お金がほしい」という欲求は、もはや人間の本能のようなものであり、だからこそ「お金がほしい」は、あまりみだらに口にしない方が上品とされるのでしょう。
 多くのお金持ちは、あまり自分の幸福を声高に喧伝しません。不幸なお金持ちや、悪いお金持ちは目立つので、格好の週刊誌ネタになったりもしますが、幸福なお金持ちや善良なお金持ちは、その陰にうんざりするほど存在します。
 とするならば、お金に対する興味や愛など持たないふりをするのでなく、
「お金に興味があります」
「お金が稼げる大人になりたい」
 と子供が素直に言うことができる世の方が、本当は健全なのかもしれません。
 コロナ時代、親がリモートで仕事をする姿を見て尊敬の念が芽生え、
「将来は会社員になりたい」
 と希望する子供が増えたそうです。
 中高生のなりたい職業を見ると、トップには公務員や教員など、安定した職業が並んでもいます。確かにそれは悪くない道であり、自分の子供が「公務員になりたい」と言っていたら、少し驚くものの、「まぁ、安心だわね」と思うのでしょう。
 しかし「安定した人生」とは、「お金のことをあまり考えずにいる人生」のことでもあります。「明日の米を買うお金が無い」ということもない一方で、「どうしたら多く儲けられるか」を考えないのが、安定した人生なのです。
 日本の人々は、お金のことに興味がありすぎる人と、お金のことをなるべく考えずにいたい、もしくは興味の無いふりをしたい人とに、二分されています。後者の割合が高い日本は、アグレッシブな外国人からしたら格好のターゲットなのでしょうが、きっと今後の世界ではますます、お金への興味とチャレンジ精神の多寡によって、格差や序列が決まっていくに違いない。だとするならば、そんな世の中をうまく泳いだり戦ったりできる技術を学校で学ぶことの重要性も、高まっていきそうです。
 中学の体育でダンスが必修になった後の世代とそうでない世代の「踊る」ことに対する感覚が大きく違うように、金融教育を受けた世代とそうでない世代の間にも、大きなギャップができることでしょう。が、お金の話になると朦朧としてしまう者としては、せめて若い世代には、しっかりとお金を理解できる能力を身につけて、金のかかる世を生き抜いてほしいものだと思うのでした。

*本連載は今回が最終回です。ご愛読いただきありがとうございました。
なお、単行本は6月に発売される予定です。
どうぞお楽しみに!

『うまれることば、しぬことば』好評発売中!

価格 1,650円(10%税込)
価格 1,650円(10%税込)

陰キャ、根暗、映え、生きづらさ、「気づき」をもらった……
あの言葉と言い方はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか。
古典や近代の日本女性の歩みなどに精通する酒井順子さんが、言葉の変遷をたどり、日本人の意識、社会的背景を掘り下げるエッセイ。

『うまれることば、しぬことば』はAmazon他、全国の書店・電子書店にて好評発売中!

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

週間ランキング 今読まれているホットな記事