2022.9.2
バブル世代「会社の妖精さん」の行く末は 第3回 五十代からの「楢山」探し

第3回 五十代からの「楢山」探し
ふと気がつけば、自分と同世代の人々が今、社会においてエイジズム、すなわち年齢差別の渦中にいるのでした。
今の五十代については、「働かない『会社の妖精さん』」とか、「どうする、『社内ニート』のバブル世代」などと記されがち。だというのに給料は高いということで、会社におけるお荷物となっているのだ、と。
「いやそれ、差別してるわけじゃなくて、本当に困ってるんですよ我々」
と、若い方々の声が聞こえてきそうではあります。「妖精さん」というそこはかとなく美しいネーミングにも、今時の若い世代特有の優しさが感じられるような気も、するのです。が、五十代は働かないのに給料ばかり高い、というイメージのせいで、まっとうに働く五十代までもが蔑視されることになってはいまいか。
友人知人の中には、五十代になってから、新たな道を探る会社員も目につきます。
「会社にいても何だか肩身が狭いから、早期退職制度に乗っかって、辞めることにした」
という人もいれば、
「どうせ会社にいても、ポジションは不足しているんだし」
と、自身で起業して会社に見切りをつける、という人も。
そんな中の一人は、
「何だか、『楢山節考』の坂本スミ子みたいな気分だ」
と、つぶやいていました。意味がよくわからないというお若い方々は近くの中高年に聞いてみてほしいのですが、『楢山節考』は姥捨伝説をベースにした深沢七郎の小説。一九八三(昭和五十八)年に映画化された時の主演が、坂本スミ子さんでした。
物語の舞台である貧しい集落では、七十歳になると楢山まいりに行くという習慣がありました。それはすなわち、口減らしのため高齢者を山に置き去りにするという、姥捨行為。
主人公のおりん婆さんは、間もなく七十歳を迎えようとしていました。おりん婆さんは、年をとっても歯が揃っていては、食い意地が張っているようで恥ずかしいと、自分で歯を石臼に打ち付けて毀つような人。楢山まいりの時が来ても、躊躇する息子を叱咤して、自身を山へと連れて行かせるのです。
自ら進んで山に入っていくその姿に哀愁が漂った、『楢山節考』。五十代で会社から去る決心をした知人も、「お荷物感を会社に抱かせてしまっているのであれば、いっそ自分から去った方が……」ということで、『楢山節考』の坂本スミ子を思い出したのでしょう。
おりん婆さんの行為は、一種の自殺です。
他者のために自らの命を進んで差し出すその姿勢に、昭和の人々はうっとりしつつ目頭を熱くしたのですが、しかし令和の五十代は、自身の楢山まいりにうっとりしているわけではありません。人生は百年だなどと言われている時代に、五十代ですでに楢山感を抱かなくてはならないとしたら、後の五十年はいったいどうしたらいいのか、という思いが、そこにはある。
そんなある日、居酒屋において、若い会社員達が五十代のことを揶揄しているのを、小耳に挟みました。パソコンの使い方もおぼつかないのに勉強しようとしないのがムカつくとか、やたらとバブルの時代の自慢話を聞かされるのがウザいなど、
「ごもっともでございます」
と言いたくなる話ばかりで耳が痛い……。
一方で彼らの表情を眺めながら、私はデジャヴュ感を覚えてもいました。すなわち、
「自分もかつて、こんな顔をして年長者を蔑視していた気がする」
と。