よみタイ

子育てに本当に向いていなかった私が唯一、今も捨てられない子どもたちのもの

 青い、頑丈そうなボディに黒い目がついていて、赤い帽子に赤い鼻、耳のあたりから黄色いハンドルが突き出している。動物なのか、キャラクターなのかわからないが、とにかく子ども用の乗り物だ。プラスチック製で軽量。持ち運びに便利なうえ、四つの大きな車輪で子どもが乗っても安定していると商品説明に書いてあった。足で床を蹴って進むタイプだから運動になり、よくお昼寝もしてくれます!とあり、これしかあるまいと思った。フローリングに傷がつくだろうが、そんなのはどうでもいいことだ。どうにかして自分の時間を確保するために、まあまあの値段はしたが、迷うことなく二台注文した。
 数日後に二台のカッピーライダーが登場すると、息子たちは歓声をあげ、さっそく乗り始めた。最初は恐る恐る乗っていたものの、日に日にそのスピードは増していった。ベランダや部屋の隅から隅まで猛スピードで移動、片足をついた状態でくるりと本体を回転させ、逆方向へ爆走。当時飼っていた犬二頭がそれを追いかけた。追いかけられる息子たちはキャッキャと歓声をあげて、逃げまくる。犬は余計に追いかける。二人の幼児と二頭の犬が、カッピーライダーとともに家中を延々と移動する日々が始まった。私はあらかじめ危険箇所を避けるように家具を移動して、柵を取りつけ、走行コースを作ればいいだけだった。
 息子たちがカッピーライダーで走っている間、私は仕事に没頭できたし、夕食の支度をすることができた。安定した乗り物だったから、二人が転んだこともないし、頑丈な作りだったので、どれだけ乱暴に乗り回しても、びくともしなかった。延々と運動するので、昼寝もスムーズ。プラスチック製だから、汚れたらすぐに洗うことができた。「カッピー最高!」と私は喜び、カッピーの青い顔に感謝する日々が始まったというわけだ。

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 私が唯一、今も捨てていない子育てグッズが、このカッピーライダーだ。大きいし、場所を取るし、成長した息子たちが乗ることもできないし、もはや私たちの生活に一切必要ないものだが、それでもカッピーライダーだけは捨てることができない。なぜなら、あの頃の私を本当の意味で助けてくれたのは、カッピーライダーだけだったから。
 カッピーを見ていると、あの頃の息子たちがどれだけ自分にとって大切だったか、どれだけ愛らしい存在だったかを思い出すことができる。私と一緒に子育てに参加してくれていた今は亡き二頭の犬が、どれだけちゃんと二人を見守ってくれていたのかも思い出す。同時に、あの頃感じていたやり場のない怒り、ワンオペ育児の苦しさ、連日通いつめる義父母との息つまる時間を瞬時に思い出させ、私の心に火をつけ、デスクに向かわせるのもカッピーライダーだ。カッピーライダーは息子たちの乗り物から、私の過去二十年の闘いを象徴する青い物体となった。ますます捨てられない。
 目が取れ、赤い帽子が割れ、スカイブルーだった胴体は薄汚れているけれど、ボロボロのカッピーをこれからも後生大事に納戸の奥にしまい込んでおこうと思う。先日、息子たちにカッピーを憶えているかと聞いたところ、少し照れくさそうに憶えていると言った。「あれは捨てずに置いておこうと思うよ」と伝えると、首をかしげて不思議がっていた。
 昨年、実家の家じまいをした。死期を悟った母が多くを処分していたため、ほとんど何も残っていなかったが、唯一私の目を引いたのが、私と兄が二人でよく遊んでいたプラスチック製の青い車の乗り物だった。私が息子たちの子育てに四苦八苦していたとき、母が突然、あの車の乗り物を送るから、使ってよと言い出したことがあった。私はなぜか腹を立て、あんな古いものなんていらないよ、だってあれ、四十年ぐらい前のものじゃない! それに、双子なのに一台だけもらったって、ケンカの原因になるだけじゃない。育児経験者なのにそんなこともわからない? だいたい、なぜあんな古いものを後生大事に持ってるんだと、電話の向こうの母に食ってかかったことがある。あの車の乗り物は、母にとってのカッピーライダーだったのかもしれないというのに。今、その車の乗り物は、カッピー二台の横に並べて置いてある。私が実家から引き取った数少ない荷物のなかの一つだ。
 自分の終活も意識し、徐々に荷物を減らそうと考えている。可能であれば、大きめのバケツ二つほどの荷物がちょうどいいのではないだろうか。バケツだったらそのまま捨てられる可能性だってあるので、死んだあとに誰の迷惑にもならない(多少はなると思うが)。しかしカッピーライダーと、例の車の乗り物はどうだろう。私が死んで、誰かが荷物を処分するとき、薄汚れた乗り物三台を見て、「なんだこれ」と思うだろうか。それともあっさり処分されるだろうか。きっと、そうなるだろう。昔はこんなおもちゃがあったのかあ〜、それにしても後生大事にお母さんは取っておいたんだねえと、つぶやく誰かの手によって、大きなコンテナに投げ入れられ、潰され、最後は燃やされる。人間だって、死んだら焼かれ、灰となる。カッピーだって、私の思い入れと、背中に乗せ続けた幼児たちの重さの記憶とともに、潰され、焼かれ、処分される。私と兄が乗った車の乗り物だって、恐ろしく長い年月の記憶とともに、とうとう潰され、焼かれ、消える。それでいいし、きっとそこで私と母の思いも、ようやく、きれいさっぱり消え失せるはずだ。

次回は10/26(月)公開予定です。

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村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』『実母と義母』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』など。
主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』『PARIS The Memoir』『ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする』など。

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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