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伝説の英語教師・宮坂の恐怖政治「英作文から神戸大学の臭いがする」【学歴狂の詩 第4回】

「カリスマ教師」の真の価値

 こう書いてきて、みなさんはなんとひどい教師なのかという印象をお持ちだと思うが、彼の授業はすばらしかった。恐怖を感じながらではあったが、「こいつの言うとおりにしてさえいれば東大・京大の英作文はクリアできる」という信仰を私たちは抱いていた。第二回で紹介した濱慎平のような天才ならいざ知らず、私やその他大勢の凡人が難関大に挑むというとき、この手の信仰はかなり有用である。スポーツ選手などが「ゾーンに入る」という言い方をすることがあるが、当然ながら受験勉強にもその状態はある。だが、そのためには目の前の問題や自分の勉強法に価値があるという前提を相当程度信じていなければならない。「カリスマ教師」と呼ばれる教師の真の価値は、その授業内容や表現力そのものよりも、強烈な信仰をもたらしてくれるという点にあるとすら言える。

 私が直接授業を受けた経験のある中では、この宮坂と、駿台の生物を担当する大森徹先生(実名)が「カリスマ教師」のツートップだった。私は文系なので生物はセンター試験にしか使わず、普通にいけば九割は切らないという感じだったのだが、「遺伝」の問題だけはややこしいものが来ると微妙だなと思っていた。だが、夏期講習で大森徹先生の講義を受けるやいなや、「あ、遺伝いけるわ」となったのである。おそらく教室の空気感からして、一緒に受講していた多くの生徒が「遺伝いけるわ」となっていたと思う。短期間しか受けていないので何がそんなにすごかったのかは忘れてしまったのだが、この「いけるわ」感を生徒に残すことが教師の大きな仕事であることは間違いない。

「ゾーン」の話に戻ると、フィギュアスケートの羽生結弦(ご結婚おめでとうございます!)は、「ゾーンというのは意識でコントロールできるわけではないが、『擬似ゾーン』ならばいつでも意識的に作り出すことができる」とどこかのテレビインタビューで言っていた。これも受験と同じである。自分の勉強法や目の前の問題の価値を信じていることは大前提として、受験勉強にも気分が乗る日と乗らない日、調子のいい日と悪い日がある。そういう時、「擬似ゾーン」に入るための儀式を確立しておくと、悪い日にも悪い日なりの勉強ができるようになる。この方法は何でもいいと思うが、私の場合は小学校時代にそろばんを習っていたこともあり、勉強前に頭の中でゆっくりと「65」を足し続けるというルーティンをやっていた。65、130、195、と足していき、1300もしくは1950あたりになるまで続ける。すると頭の雑念がある程度取れ、すっきりした状態で勉強に入れる。この方法は本当に人それぞれだと思うので、ぜひ自分に合ったルーティンを見つけてみてほしい。

 私の考えでは受験とスポーツは似ており、執筆とスポーツも似ている。したがって受験と執筆も似ている。極言すれば広義のすべてのゲームは「受験」の亜種であり、受験に使えた方法は他のすべてのゲームで応用可能である。村上春樹『ノルウェイの森』の主人公ワタナベは、美人大学生緑ちゃんに「仮定法過去と仮定法現在の違いを説明できるか、それができることが何の役に立つか」と聞かれたとき、「何かの役に立つというよりは、物事を系統的に考える訓練になる」と答えている。私なりに言い換えると、これは思考のフォームを作るということであり、またその前段階である努力のフォームを作ることである。もちろん村上春樹はその作風からして受験勉強がどうのこうのという話はほとんどしないが、この訓練を受験勉強の土俵で行い、そして一定以上の学歴を手に入れることは、現実的に「役に立つ」と言い切って構わないだろう。語学など受験で得た知識がそのまま役立つ場合も多々あるし、学歴がその後の就職等に及ぼす影響力には信じがたいほど甚大なものがある(学歴と就活の関係についてもこの連載で話そうと思っているので、ぜひ楽しみにしていてほしい)。私は客観的には学歴を活かすことに失敗している人間だが、それでもなお、受験ほど確実で大きなリターンのある競技は他にほとんどないと思っている。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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