2019.11.20
悲しみのマミー券
今から40年前の1979年12月17日。雪がしんしんと降る日の大体おやつの時間、わたしは生まれました。
それからの記憶を順に少しずつ話せる範囲で辿っていきたいと思います。
3歳の時、夜二階へ寝に行くのに、3歳の足には高さがある階段をえっちらおっちら上がって行く自分の後ろ姿。なぜか俯瞰での記憶。
心が、よく自分から離れたり自分の中に入ったりしていました。これが一番古い記憶で、横浜市鶴見区の小さな一軒家に住んでいたのですが、弟が生まれてからお母さんが付きっきりになり、「えみちゃんは一人で出来るでしょ!」「一人で片付けられるでしょ?」と言われていたし、「何でも一人で出来なきゃいけない!」そう思うようになりました。
父からよく言われたのは、「保証人だけにはなるな! 誰も助けてはくれないんだからな!」です。30歳まで言われ続けました。あと、酔っぱらって、よく「東大さーん!」と言っていました。のちに聞いたら、東大に行って欲しかったらしいです。
気付いた時から暗かったので、なんで暗くなったのか、きっかけなどは分からないのですが、これは小さな小さなキッカケの一つなのかなぁと思う事があります。
幼稚園の休み時間。コの字型の校舎の内側にある小さなグランドを駆け回る園児達。
特に中に入ることなく、私は表廊下からハシャイデいるみんなを観ていました。
「あー鬼ごっこかぁ〜。ひたすらタッチしては逃げる遊びかぁ〜。あの子、ずーっとぐるぐる回っているな〜。」とかぼんやり思いながら、休み時間が過ぎるのを待っていました。「辛い」という感情はなく、その時幸せとか不幸せとかも無くただただ時間が過ぎて行くなぁというだけでした。
私がぼんやりと園庭を体育座りして見ていると、担任の先生がわたしの斜め後ろで話している声が聞こえました。
「あの子、静かで嫌だわぁ。」
そしたら、隣のクラスの先生が言いました。
「楽でいいじゃない。」
私にはそれが自分のことを指して言われた言葉だとすぐわかりました。
その日の夜から毎晩大きい家具に追いかけられる夢を見ました。
わたし、傷付いたらしいです。それまで、担任の先生に対して何とも思っていなかったのですが、目の前が暗くなり、園庭で騒いでいた園児たちの声が聞こえなくなり、初めて一人でいることは良くない事で、恥ずかしい事なんだと思い、悲しい気持ちになったのを覚えています。
お弁当の時間。
麦茶がみんなに配られるのですが、マミー券というものがあり、それをお母さんに買ってもらい、朝マミー券を渡しておくと、お弁当の時間に森永マミーが飲めます。
うちにとってはマミーは特別で、一か月に一回いつもお母さんにお願いしてお弁当の時間に飲んでいました。
あの日以来、先生の顔がなんだか見れなくなり、マミー券を渡すのも受け取るのも伏し目がちになってしまったのを覚えています。
夢は、大きい家具に追いつかれると、紙を丸めるようにぐちゃぐちゃとした画面になり、そのあと急に幼稚園の上空からの映像になります。そしてだれか分からないのですが、綺麗な声が聞こえます。
「幼稚園がなかったら?」
映像は日本の上空からになりどんどんどんどん広がって、やがて宇宙から見た地球の映像になります。そしてまた聞こえます。
「地球がなかったら?」
そのあと、一瞬真っ暗になり、光を放ち、いつも夢は終わります。
この日から私はどうやら更に暗くなりました。
幼稚園のある日のことでした。