2019.11.26
繋がってはいけない
ぼくは、パラオに二度、足を運んでいる。
一度は『鋼鉄の叫び』という小説を書くための取材、もう一度は家族との旅行だ。
そのときに、パラオでいろいろと世話をしてくれたのが、ペリリュー島在住の中川さんだった。彼は戦死者の遺骨を拾いに来る人たちのため、現地に住み着いて日本人専門の民宿を営んでいた。
島内には決戦を行った日米軍の戦跡が多く残されている。
戦車、零戦などの航空機、破壊された停泊中の艦船や上陸用舟艇、司令部、弾薬庫、兵士の持っていた水筒、ヘルメット、そして日米両軍の戦没者の慰霊碑……島を巡り、錆びだらけの朽ちた戦車や、ジャングルの中のたくさんの人骨を見た。
過去と今が繋がっていることをまざまざと実感させられる。
娘たちを連れていったとき、中川さんの案内で“血に染まったビーチ”と呼ばれる場所を訪れた。娘たちは何も知らず無邪気に貝殻を拾い、「あぁ、きれい」と言ってポケットに入れようとする。
「絶対に持ち帰っちゃダメだよ」
中川さんがあわてて言った。
「え、なんで?」
娘たちは不服そうだ。
「絶対にダメだ。持って帰っちゃいけない。悪いことが起こる。置いていきなさい」
中川さんは断固として譲らなかった。
ぼくも、そんなものを持ち帰るんじゃないとたしなめて、娘たちも渋々貝殻を戻した。
中川さんは多くを語らない。
けれど、その硬い表情からは、何か思い当たることがあるように察せられた。
ペリリュー島にはそんないわくつきの場所がいたるところにある。
そんな記憶も薄れかけていた、それから数年後――。
娘婿が防衛大生だったとき、軍用機で硫黄島まで研修に行くことになった。
硫黄島もアメリカ軍をあえて上陸させて戦うという、ペリリュー島から引き継いだ戦法をとった。
アメリカ軍は3日程度で攻略できるだろうと高を括っていたが、結果的に硫黄島では1か月以上もの激戦を繰り広げることになる。
実際に硫黄島に行くと、洞窟がたくさんあるのがわかる。娘婿は、そのうちのある洞窟の内部に入っていって、過去の激戦の跡を目の当たりにした。
「いいか、君たち。ここにあるものを絶対に持ち帰っちゃダメだ。戻るときには靴の裏の泥を全部払い落としてきれいにしろ。自分のものを置き忘れるのもダメだ」
教官はそこにいる全員に言い渡した。
ところが、うっかり者の娘婿は、なんとその洞窟に自分の眼鏡を忘れてきてしまったのだ。しかも軍用機に乗るとき、靴の底についた泥も払わなかったという。
そして大学寮のある横須賀に戻ってしばらくたった頃――。
謎の高熱にうかされることになる。医者の診察を受けてもまったく原因がわからない。
やがて、高熱の苦しみからようやく解放された娘婿は、眼鏡を新しく作るために眼鏡屋へ出かけた。眼鏡は1時間ほどで出来上がり、実際にかけてみたが特に問題もない。眼鏡ケースを収めたバッグをカウンターに置き、代金を払っていたそのとき――バッグの中でパキッと何かが折れる音がした。
目の前の店員もその音を一緒に聞いている。
そこで娘婿はハッとしてバッグの中を探り、眼鏡ケースを取り出して蓋を開いた。
すると――買ったばかりの眼鏡のレンズが、真っ二つに割れているではないか。
店員は、これまでの知識と経験からしても、レンズがこんな割れ方をするはずがないという。レンズは交換してもらえることになったが、娘婿はそれどころではない。
新しい眼鏡を持って、すぐさま靖國神社でお祓いをしてもらい、どうにか事なきを得、今に至る。
国内外のあちこちに、現世の者が繋がってはいけない場所がある。
そこに渦巻く怒りや悲しみ、憎しみや無念。
それは易々と海をも越える。
太平洋の海に浮かぶ島々に眠る戦いの記憶は、広く深く海に残留する。
そしてそれが、その場から解き放たれたとき、何が起こるか――。
動かしてはならない、持ち帰ってはならない。
その場にとどめておかなければならないのだ。