よみタイ

帯留め(一)

あの世とこの世のあわい。 幼いころからそれを感じ取る加門氏は、 ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。 それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに 「取り憑かれた」かのように……。 着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

 少し前から、まめに着物を着るようになった。
 服飾に心を向けるのは、一般的にはお洒落と呼ばれる人たちだ。しかし、正直なところ、私は自分をお洒落だと思ったことはない。
 人前に出るときは気を遣うけど、それは相手や場所柄に対する礼儀であったり、この年で特撮キャラのTシャツはいくらなんでもなあ、という、世間の目を気にしてのものだ。
 いや、特撮キャラやTシャツが悪いというわけではない。
 服、あるいは愛するキャラクターに強いこだわりがある人ならば、どんな場所でも己のファッションを貫くだろう。そういう人たちの服装はいっそ清々しいものがある。
 しかし、それほどの拘りを持たない私は、無難が一番。もし、その服が褒められたなら、人並みに嬉しい程度のものだ。
 そんな私が、着物という厄介な民族衣装に手を出すことになったのは、取り憑かれてしまったからに他ならない。
 夢中になる、との比喩ではない。
 話は怪談なのである。

 服飾に拘りはないと記したが、和服そのものは、随分前から好きだった。
 好きどころか、なぜか着物だけは幼い頃から執着していた。
 そう言い切れるのは、幼い頃に着た着物の記憶が、切れ切れながらも鮮明に残っているからだ。
 お祭りのときに着た浴衣、その三尺帯の色合い、肌触り。お正月に着せてもらったウールのアンサンブルの柄。七つのお祝いの振袖に袖を通したときに感じた、絹の重さときぬれの音。
 洋服に関する思い出は皆無に等しいにもかかわらず、着物は細かいところまで、不思議なほどに記憶している。
 七歳の七五三のとき、私は親戚への挨拶回りに連れていかれた。我が家は親戚が多かったので、それはほぼ一日がかりとなった。
 慣れない着物は辛かろうと、母は着替えを持ち歩き、折々に「辛かったら脱いでもいいんだよ」と声を掛けてくれた。だが、私は頑固に首を振り、終日振袖を着続けた。
 きつくなかったわけではない。事実、翌日は一日ぐったりしていた。それでも、絶対に脱ぎたくなかった。
 なぜなら、着物を着ている自分が愛しくて仕方なかったからだ。
 幼い頃の私は、相当、お洒落だったということなのか。いな、当時から洋服はどうでもよかったのだから、これは着物に限った感情だ。
 ならば、前世の因縁というものか。いやいや、言うならば、母の因縁だ。
 母は、普段から和服を着ていた。
 戦前生まれとはいえ、昭和も後半となれば和服は日常から遠のいている。それでも、母はちょっとおめかしという時は、必ず着物を身につけた。
 しかも、母は着物が似合った。
 娘の私が言うのもなんだが、母は相当な美人だった。
 但し、お上品な奥様というタイプではない。顔立ちはモダンできつい。
 ゆえに洋服でも目立ったが、その顔に和服を合わせると、不思議な迫力が加わった。
 道を歩けば、振り返られる。和装の女性と行き合うと、大概の相手は顔を伏せ、場合によっては脇道に入る。
 素人には見えないために、タクシーに乗ると「お店」を訊かれる。デパートに行けば、呉服売り場の店員が走り寄ってくる。
 正体は町工場のおかみさんでしかないのだが、そんな母と周囲の様子を物心ついたときから見ていた私は、母にはかなわないという気持ちと共に、着物の力というものを、常に感じ取っていた。
 母自身も実感していたに違いない。そして、それ以上に、母も心底、着物が好きだったのだ。
 しばしば、母は私に着物を仕立てた。
 私は単純に喜んでいたが、今思うと、母は自分が似合わなかったり、年齢的に合わなくなった色柄を娘で楽しんでいたようだ。
 だから、私の意見が通ることは、帯締め一本たりともなかった。もっとも、お金を出すのは母なので、口を出せる立場ではない。ゆえに、成人式もそれ以降も、着物は母の言いなりだった。
 着付けも母だ。
「自分で着られるようになれ」とは、いつも言われることであったが、実際はまったく無理だった。なぜなら、私が手を出すことを母自身が許さなかったからだ。(つづく)

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加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなど様々な分野で活躍している。また、豊富な心霊体験を持つ。
著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『お咒い日和 その解説と実際』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目囊』『203号室』など多数。

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