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シェークスピア研究からSMクラブで働くことを選んだエリート女子大生

過去の傷を薄めるため……。「してくれる」相手が欲しい……。 性暴力の記憶、セックスレスの悩み、容姿へのコンプレックス――それぞれの「限界」を抱えて、身体を売る女性たち。 そこには、お金だけではない何かを求める思いがある。 ノンフィクションライターの小野一光が聞いた、彼女たちの事情とは。 第1回は、SMクラブで働く女子大生「アヤメ」の場合。

有名大学に通う、眼鏡の似合う“女の子”

 彼女と最初に出会ったのは、SMクラブが用意した個室だった。
 
 レンガ模様の壁紙に、手枷てかせがついた十字架のはりつけ台、それに分娩台を思わせる形状の椅子とベッドがあるだけの、必要最小限の用途に特化した部屋だ。
 とはいえ、ここは客のためのプレイルームではない。店が宣伝のために用意した、動画や静止画を撮影するための取材部屋である。時折、従業員の休憩室としても使われているようで、灰皿に煙草の吸い殻が残っていたり、ユニットバスの洗面台に置かれたコップのなかに、歯ブラシが何本も入っていたりする。だからなのか、妖しい雰囲気にもかかわらず、室内には淫臭よりも生活臭が漂う。
 
 店名を出して風俗嬢の話を聞き、写真を撮るという、スポーツ紙で週一回やっていた連載の取材でのことだ。馴染みのこの部屋には何回どころか何十回も来ている。だから物珍しさに室内を見回すようなこともない。
 ガチャリ。
 扉が開く。なかに入ってきたのは、セルフレームの眼鏡をかけたおとなしそうな女の子だ。ちなみに風俗業界では、たとえ中高年の女性であっても“女の子”との呼称を使う。だが彼女は正真正銘の女の子だった。幼さの残る顔立ちから想像するに、二十歳前後といったところだろう。

「よろしくお願いします。アヤメです」
 ややうわずった声で言う。
「学生さん?」
「そうです。××大学の三年生です」
 
 通常、匿名性を保つために学校名までは言わないものだが、彼女はみずから口にした。誰もが知る有名大学だ。とはいえ驚きはない。風俗業界、とりわけSM業界には時折、飛び抜けた高偏差値の学生や、エリート会社員が混じっていたりする。源氏名としてアヤメを名乗る彼女もその一人、といった程度の感想に留まった。

初回取材時のアヤメ。色白で化粧っ気のない顔には、まだ幼さが残っている  (撮影/小野一光)
初回取材時のアヤメ。色白で化粧っ気のない顔には、まだ幼さが残っている  (撮影/小野一光)

 聞けば、現在二十一歳のアヤメは、SMクラブで働き始めて三カ月ほどだという。ここでの彼女の仕事は“M女”。つまり男性客からSMプレイを受ける側である。縄での縛りや、手枷での拘束、さらにはムチやロウソク、大人のオモチャを使った責めを受ける。店のプレイリストにはAF(アナルファック)もあるため、当然ながら肛門に男性器を受け入れてもいる。

 世間が“風俗嬢”との単語で思い浮かべる、濃いめの化粧だったり、肌の露出の多い服装というステレオタイプの印象とは真逆の、色白で化粧っ気のほとんどないさらっとした顔立ち。それに、露出の少ない白シャツに紺地のジャンパースカートという地味な出で立ちの彼女が、前述のハードなプレイをこなす姿を想像する人はいないだろう。
 風俗店で働くこと自体が初めてだというアヤメが、なぜよりにもよってSMクラブを選んだのか。私はまずその理由を尋ねた。

「大学で文学を勉強していて、シェークスピア史を研究しているときに、SMがイギリス発祥だと出てきて、実際に体験したらわかるかなって思ったんです」

 じつのところ、SMはフランスを中心としたヨーロッパが発祥との意見もあり、諸説はさまざまである。とまれ、あまりにきれいにまとまった理由から、私は、そのうち何割かは本当かもしれないが、他にも理由があるに違いないと想像した。だがしかし、今回の取材は真実を追求することが目的ではないため、彼女の発言をそのままメモに取る。

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小野一光

おの・いっこう
1966年、福岡県北九州市生まれ。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。「戦場から風俗まで」をテーマに、国際紛争、殺人事件、風俗嬢インタビューなどを中心とした取材を行う。
著書に『灼熱のイラク戦場日記』『風俗ライター、戦場へ行く』『新版 家族喰い——尼崎連続変死事件の真相』『震災風俗嬢』『全告白 後妻業の女』『人殺しの論理』『連続殺人犯』などがある。

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