よみタイ

寿木けい「土を編む日々」

第7回 カレーのきた道

 朝、出がけに子どもが言う。
「夜はカレーが食べたい」
 カレーか、いいねえ。でも困ったなあ、とも思う。そういう日にかぎって飴色玉ねぎを作る余裕がなかったりするからだ。

 フルタイムで働いてきた私は、カレーでもなんでも、レシピの聖典をいちどは疑ってかからなければたなかった。
 例えば、レシピ中の「玉ねぎを飴色になるまで炒める」の文。一時間かけて飴色に変化した玉ねぎの深い味わいは、私だってよく知っている。でも、毎日のごはん作りはもっと気楽に裏道を運転してはだめだろうか。

 あるとき、火にかけた玉ねぎのことを忘れ、うっかり煮崩れさせてしまったことがあった。
 食べてみると、ぽってりと舌にまとわりついて甘い。これだってじゅうぶんすぎるくらい、おいしいじゃないか──そう思った私は、飴色の呪縛を手放した。
 ほかにも「ひと晩寝かせたほうがおいしい」や「子どもには甘口を」など、カレーについてまわる常識はたくさんある。
 でも、私がおいしいと感じるのは出来たてのカレーだ。スパイスとハーブの香りが立ちのぼり、鼻腔を全開にして吸い込みたくなる。それに、甘さを照準にするより、大人も子どもも満足できる旨い辛さを見つけてみたい。
 そう思ってひとりカレー開発部門を担ってきた。あぁでもない、こうでもないを繰り返し、挽き肉とニラのカレーがいつの間にかうちの定番になった。

 こだわりといえば、30分で作れるレシピであること。
 にんにくとクミンシードを油でよく炒め、合挽肉に「S&B」の通称“赤缶”でしっかり味をつけ旨みの土台とする。赤缶はスパイスのバランスが欠点なく調和していて、飽きがこない。
 玉ねぎとじゃがいもを加えて炒めたら、水を加えてふたをする。20分煮てとろとろになった野菜は、泡立て器を使って潰してしまう。玉ねぎは角をなくし、じゃがいもはとろみとなって溶け込む。
 下味をつけるのはウスターソースとケチャップ。便利な旨みはなんだって活用する。そして二度目の赤缶を味を見ながらひとさじ、またひとさじ、足していく。
 最後に加えるのはニラと生姜。香り高いこの和の食材を、カレーに使わない手はない。五分弱火で煮たら、できたてを食卓へ運ぶ。
 ここまで、きっかり30分。
 ひと口ほお張れば、すべての具が均一に放り込まれる。リクエストされても焦る必要のない、大人も子どもも大好きなカレーライスである。

 満たされているのは、食べるひとよりも、奉仕するひとたちのほうではないか──。
 弾かれたようにこう気が付いたのは、映画を観終わってからしばらく経ち、八百屋のレジに並んでいるときだった。
 ハリマンディル・サーヒブで奉仕していた人々は、ちっともシリアスじゃなくて、遊んでいるようにすら見えた。私にも、買い出しからはじまる料理の一連が面白くてたまらないときがある。

 レシピにはすみずみまで動機や理屈があり、そのひとが五感を使って歩いてきた道そのものだと思う。
 どう作っても自由だからこそ、自分の味にたどり着き、それを大切なひとと分かち合えたとき、めいっぱい夏遊びをした夕暮れのような充足感が作り手を包む。

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寿木けい

すずき・けい●富山県生まれ。早稲田大学卒業後、出版社で雑誌の編集者として働きつつ、執筆活動をはじめる。出版社退社後、暮らしや女性の生き方に関する連載を持つ。
2010年からTwitterで「きょうの140字ごはん」(@140words_recipe)を発信。フォロワーは現時点で11万人以上。現在、東京都内で夫と二人の子どもと暮らす。
著書にロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』、エッセイ集『閨と厨』のほか、11月6日に、文庫版『わたしのごちそう365 レシピとよぶほどのものでもない』が、河出書房新社から発売された。

砺波周平

となみ・しゅうへい●写真家。1979年仙台生まれ北海道育ち。
北里大学獣医畜産学部卒業。大学在学中から、写真家の細川剛氏に師事。
2007年東京都八王子市に東京事務所を置く傍ら、八ヶ岳南麓(長野県諏訪郡富士見町)に古い家を見つけ自分たちで改装し、妻と三人の娘、犬、猫と移り住む。
写真を志して以来、一貫して日々の暮らしを撮り続ける。現在、作品が「暮しの手帖」の扉に使用されている。東京都と長野、山梨に拠点を持ち活動中。

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