そして、言葉の影に必ずついてくるのはその時代の空気。
かつて当然のように使われていた言葉が古語となり、流行語や略語が定着することも。
言葉の変遷を辿れば、日本人の意識の変遷も垣間見え、
コロナをめぐる言葉からも、さまざまなことが読み取れる。
近代史、古文に精通する酒井順子氏の変化球的日本語分析。
2020.6.11
「三」の魔力
言葉のあとさき 第7回

私は毎晩、寝床で何かを数えるという習慣を持っています。それはたとえば「竹かんむりの漢字(笹、筏、算……)」とか「漢字一文字の名字を持つ知り合い(森さん、林さん、原さん……)」とか。
もう何十年も毎晩続けている作業なので、数えるネタもとっくに尽きているのですが、同じものを何度数えても飽きないのが不思議なところです。数えているうちに眠くなり、途中で意識を失うのが常なのでした。
様々なものを夜な夜な数えていて気づいたのは、日本における「三」という数字の重要性です。たまに、「知り合いの中で、漢数字が入る名字の人」を数えてみることがあるのですが、一から十までの数字の中で、否、「百」「千」「万」を含めても、「三」を使った名字の人が圧倒的に多い。
「一」なら、一山さん、一木さん。「二」なら、二村さん、二岡さん。……と、ちょろっとしか思い浮かばないのですが、「三」になると、三浦さん、三田さん、三島さん、三沢さん、三宅さん……と途端に増えて、十種は軽く越えていきます。しかし「四」以降になると、再びちょろっとしか思い浮かばず、「六」に至っては、あいにく六平直政さんは知り合いではないので、ゼロ。
「漢数字が使用されている日本の地名」を数える時も、同様の傾向があります。やはり他の数字に比べると、「三」がつく地名はぐっと目立つのでした。
日本三大◯◯とか三名◯◯と言われるものも多いですし、ことわざや慣用句でも、「三日坊主」やら「三度目の正直」やらと、やはり「三」の使用頻度は、他の数字に比べて高い。
「三」は日本の数字界において、最も好かれている人気者なのです。
となりますと、今回のウイルス騒ぎにおいて「3密」という言葉が登場したのも、納得のいくところ。「2密」でも「4密」でもなく、「3密」であることが、重要だったのです。
なぜこのように「三」が好まれるのかと考えてみますと、ざっくり言うならば「二」では少なすぎ、「四」では多すぎるからなのでしょう。知り合いに非常に弁の立つ人がいるのですが、会議などで発言する時に、やはり「三」という数字を多用するのだそう。
「今回、こちらの案を推す理由は三点あります。すなわち……」
というように、ポイントを三つに絞って説明すると、聞き手の注意を喚起しやすいと、その人は言います。ポイントが二つだと「それしかないの?」という感じだし、四つになってしまうと「覚えきれない」となるので、三つがちょうど良いのだ、と。
さらに三は、二で割り切れないが故に落ち着きがよい数字です。仏教用語でも奇数が多用されていますが、中でも特に、三界、三蔵、三昧、三途‥‥と、三をよく見かけるのでした。
我々にとって最も親しみ深く、座りの良い数字が「三」であるわけですが、しかし座りが良すぎるあまり、何かが「三」でくくられた時点で、その中身のことはよく考えなくなる傾向が、我々にはあるように思うのです。
たとえば、「日本三景」とか「国民の三大義務」などと言われると、パッと思い出せないもの(私だけ?)。観光地に行くと、「日本三大◯◯の一つ」と説明される建造物やら山やら木やらが乱立し、「他の二つが書いてないけど、適当に自称しているだけなのでは?」という疑念が湧いたり。また世界三大美女はクレオパトラと楊貴妃と小野小町だと言いますが、明らかに日本以外の国の人は小野小町のことは知らないだろうよ、とも思うのです。
「3密」にしても、サンミツサンミツと唱えているうちに、その内訳がよくわからなくなるのでした。人がたくさん集まる「密集」がいけないのはわかるけれど、あと二つの密って何だったけ。密会? 密輸? 濃密? 隠密? ‥‥などと。