2020.7.6
第7回 カレーのきた道
朝、出がけに子どもが言う。
「夜はカレーが食べたい」
カレーか、いいねえ。でも困ったなあ、とも思う。そういう日にかぎって飴色玉ねぎを作る余裕がなかったりするからだ。
フルタイムで働いてきた私は、カレーでもなんでも、レシピの聖典をいちどは疑ってかからなければ保たなかった。
例えば、レシピ中の「玉ねぎを飴色になるまで炒める」の文。一時間かけて飴色に変化した玉ねぎの深い味わいは、私だってよく知っている。でも、毎日のごはん作りはもっと気楽に裏道を運転してはだめだろうか。
あるとき、火にかけた玉ねぎのことを忘れ、うっかり煮崩れさせてしまったことがあった。
食べてみると、ぽってりと舌にまとわりついて甘い。これだってじゅうぶんすぎるくらい、おいしいじゃないか──そう思った私は、飴色の呪縛を手放した。
ほかにも「ひと晩寝かせたほうがおいしい」や「子どもには甘口を」など、カレーについてまわる常識はたくさんある。
でも、私がおいしいと感じるのは出来たてのカレーだ。スパイスとハーブの香りが立ちのぼり、鼻腔を全開にして吸い込みたくなる。それに、甘さを照準にするより、大人も子どもも満足できる旨い辛さを見つけてみたい。
そう思ってひとりカレー開発部門を担ってきた。あぁでもない、こうでもないを繰り返し、挽き肉とニラのカレーがいつの間にかうちの定番になった。
こだわりといえば、30分で作れるレシピであること。
にんにくとクミンシードを油でよく炒め、合挽肉に「S&B」の通称“赤缶”でしっかり味をつけ旨みの土台とする。赤缶はスパイスのバランスが欠点なく調和していて、飽きがこない。
玉ねぎとじゃがいもを加えて炒めたら、水を加えてふたをする。20分煮てとろとろになった野菜は、泡立て器を使って潰してしまう。玉ねぎは角をなくし、じゃがいもはとろみとなって溶け込む。
下味をつけるのはウスターソースとケチャップ。便利な旨みはなんだって活用する。そして二度目の赤缶を味を見ながらひとさじ、またひとさじ、足していく。
最後に加えるのはニラと生姜。香り高いこの和の食材を、カレーに使わない手はない。五分弱火で煮たら、できたてを食卓へ運ぶ。
ここまで、きっかり30分。
ひと口ほお張れば、すべての具が均一に放り込まれる。リクエストされても焦る必要のない、大人も子どもも大好きなカレーライスである。
満たされているのは、食べるひとよりも、奉仕するひとたちのほうではないか──。
弾かれたようにこう気が付いたのは、映画を観終わってからしばらく経ち、八百屋のレジに並んでいるときだった。
ハリマンディル・サーヒブで奉仕していた人々は、ちっともシリアスじゃなくて、遊んでいるようにすら見えた。私にも、買い出しからはじまる料理の一連が面白くてたまらないときがある。
レシピにはすみずみまで動機や理屈があり、そのひとが五感を使って歩いてきた道そのものだと思う。
どう作っても自由だからこそ、自分の味にたどり着き、それを大切なひとと分かち合えたとき、めいっぱい夏遊びをした夕暮れのような充足感が作り手を包む。