2021.12.17
一流企業のマーケティング部長がタクシー運転手に転職した本当の理由とは?
タクシーは後ろの席に乗るものだと思っていた
新入社員・山中修の存在を私が知ったのは、彼が豊田の指導を受けている真っ最中の時期だったから、おそらく1月のなかごろだったはずである。実地研修を終えて帰庫したところだったのか、あるいは出庫前だったのか定かではないが、どうやら山中は洗車をしようとしていたようで、5台が横に並んで洗車できる車庫の一角に営業車を入れようとしていた。すでに四台が並んでいるから、真ん中の空いているスペースに彼は入りたい。それがすんなりいかなくて、何度もハンドルを切り返していた。その動作が、いかにもぎこちなかった。
「へたくそ」
言ったのは、洗車中の私である。
黙って突っ立ってる山中修と向かい合い、「この男の前職を当ててみろ」と問われたら、8割方が「公務員」と即座に答えると賭けてもいい。「実直」に運転免許を持たせたような見た目の彼と、そうでもなさそうな私だが、職場で顔を合わせれば「おはよう」くらいは言うし短い言葉も交わす。けれど、何せこっちは人見知りだし、あっちは見るからに人づきあいがおそろしく下手そうで、そのうえ愛想なしときてる。これまで彼とはいちども会話らしい会話をしたことがなかったのは、そんな理由からだった。その山中が、きのこ採りに入った森で道に迷って熊に追いかけられ、さまよった末にここに辿り着きました、みたいな、少し引きつり気味の作り笑顔をこっちに向けていた。
「ごめん、わざわざきてもらって」
礼を言いながら乗り込み、「どんな調子?」と挨拶代わりに尋ねてみた。
「いま3万3000円持ってます」(=水揚げできている)
ちょっと小太り気味の山中は、黙っているときの表情は愛想なしだが、笑顔は別人だ。その別人の顔で3万3000円と言ったのは、ここまでは調子よく仕事ができているという意味だった。
「今日は7万超えだね」
「いきますかね」
「いくでしょう。俺を送って11時、それで4万だし、今日は7万か、うまくすりゃ8万いくよ」
私の言葉に、まんざらでもなさそうに「ははは」と笑って「頑張りますよ」と応えていたが、今日はやれそうだという手応えを彼自身も感じているのだろうと思った。日車営収がリーマンショック前の水準にまで本当に戻っているのだとしても、運転手がそれを実感できていないくらいだから、隔勤の七万は依然として簡単にあげられる数字ではない。土曜日であっても、今日、7万も8万も持って帰ってくるうちの運転手は、いたとしても、せいぜい一人か二人だろう。日付が変わってから土曜日の水揚げを記したランキング表を見れば、3番目よりは上の位置に山中修の名前が載っているはずだ。
明治通りを池袋に向かって走りだした山中は、南池袋の大ガードをくぐって山手通りにでた。このルートだと熊野町の交差点を左折して川越街道かと先を読んだが、道順を尋ねることもなく中華料理屋の先の角を曲がってショートカット。ふ~ん、と思った。「豊田さんに教わったせいか、大手町や日本橋、銀座での仕事が多い」と話してくれたことがあった彼だけれど、タクシー運転手になって四か月、近ごろでは新宿や池袋あたりもそこそこわかってきているみたいだ。
「覚えたの、最近ですよ。いつまでも銀座ばっかりというわけにもいかないし」
長く東京で暮らしていても、言葉の微妙な発音の違いで関西出身とわかる人が多いけれど、山中は違った。大阪生まれの大阪育ちだが、彼の喋りのなかに関西訛なまりのイントネーションが現れることはまるでない。
彼が、1か月前の〝キミガハマ〟の一件を話しだした。社内で話題になったし、私も聞いていた。それを意識してなのか、訊ねてもいないあの話を、山中から切りだしたのだ。
「検見川浜っていう駅が千葉県にあるのを知らなかった。ケミガワハマがキミガハマに聞こえちゃって」
養成期間中の出来事だったから山中の失敗は笑い話で終わっていたけれど、あと少し先だったら、客から貰いそびれた君ヶ浜までの4万なにがしは、山中がかぶらなければならないところだった。
川越街道を走りだすと、対向車線を都心に向かって勢いよく流れる赤いランプの列が、この道をどこまで辿ってみても果てはないかのごとく続いていた。どんなに先を競ったところで客を拾える保証などあるはずがないとわかっていても、それでも焦る気持ちがアクセルを踏ませているのだ。
「土曜日なのに、だめみたいですね」
大山あたりですれ違う空車の数が、この時間帯の客の少なさを教えていると山中は言ったのだった。
環七との交差、板橋中央陸橋を通りすぎ、東新町の交差点を越えて3つ目の信号で右折ラインに入って停まった。斜め右方向に入って行くと、かつての宿場町の風情を感じさせる旧家がわずかながらも残る旧街道で、彼がどの道を通るかはお任せだが、真っ直ぐ進めば東武東上線の東武練馬駅の裏手に続く。
「タクシーは後ろの席に乗るものだと思っていたんじゃないの」
尋ねてみたのは、右折の矢印信号が青く光ったと同時くらいだった。
「まったく」
首をひねるようにして言いながら私に向けた彼の顔は笑っていたけれど、一拍置いて「タクシーの運転手をしている自分を想像したことなんて、ただの一度もなかった」と続けた。その声の調子は、軽口を叩いているふうではぜんぜんなかった。この言葉の意味を、一端とはいえ私が知るのは、それからしばらく後のこと。最終が近い東武東上線の車内でだった。