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一流企業のマーケティング部長がタクシー運転手に転職した本当の理由とは?

「凸版だな」

 空車の列はJR線の高架下まで8台ほどが連なり、そこから先も、信号を挟んでさらに七台が続いている。山中修の営業車、4社カラーに塗りかえたばかり(つい最近まで、赤と白と紺色に塗り分けた中央無線カラーだった)のトヨタ・クラウンがその最後尾に止まったのは、午後2時を少しだけ過ぎたときだった。

「30分待っても、乗ってくる客の行き先は、たいていワンメーターだけどな」

 豊田はそう続け、昼過ぎから夕方までは客探しに苦労する時間帯だから、駅付けもひとつの手なのだと言うのだった。

 40分近い待ち時間は、長いとは感じなかった。緊張のせいはもちろんある。山中の緊張をほぐそうと、新人時代の自分の経験を真顔で話す豊田の言葉に聞き入ったせいもある。最初に受けた地理試験で大失敗をやらかし、後がないと腹を括った豊田は、会社から白ナンバー車を借りだし首都高速道路のすべての料金所を乗り降りして道を覚えたのだと言った。当時、一枚730円の高速券を、会社の労働組合が570円で売ってくれていた。それを150枚、ツケで買って首都高を走りまわったのだった。まとめ買いして新宿の大黒屋に持ち込み、1枚480円で売って当座の生活費に充てる連中もいて、豊田もそれと疑われたけれど、そんなことは気にしなかった。と、豊田の昔話をそこまで聞いたところで、山中に花番がまわってきた。

 乗り場に向かってくるスーツ姿のふたりの男を確認した豊田が、「凸版だな」と行き先を予想すると、果たして、先に乗り込んだ男が告げた目的地は「凸版まで」だった。山中が、なんでわかるんだ、とばかりに豊田の顔を見た。この乗り場を利用する客の行き先の多くは、他の鉄道駅のタクシー乗り場と変わらず、料金にすればせいぜい1000円くらいだけれど、そのなかでも凸版印刷までの利用者を乗せる頻度は、それ以外に較べれば圧倒的に多い。率にしたら全体の一割に満たないのだろうけれど、付け待ちする運転手の感覚としては、実際以上にあの会社への利用者がいるような印象が強いのだ。

 信号の具合がよければ、走りだしたら凸版までは5分とかからない。710円を受け取ると、その場にタクシーを待つふたりの男が立っていた。マーケティングの第一線で働いていたころの自分の姿が二重写しになる。地の利に欠ける本社ビルの正面玄関をでると、凸版印刷のそれと同じように広い車寄せがあって、その端には、客待ちのタクシーが常に1台か2台は止まっていたものだった。あの頃は何の感慨もなく利用したタクシーだった。遠い将来、自分がタクシー運転手になるかもしれないなどと、そんな思いが浮かぶことすらなかった。業績不振にリーマンショックが重なった結果を受け入れるしかないと理屈ではわかっているけれど、あのまま職に留まっていたら、いま、自分はどうしていただろう。タクシーを待つ男たちの姿がかつての自分に重なり、無意識のうちにせんない思いをめぐらせていた。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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