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いつも鏡を見てる

一流企業のマーケティング部長がタクシー運転手に転職した本当の理由とは?

山中修との出会い

「タクシーの運転手をしている自分を想像したことなんて、ただの一度もなかった」

 山中修はそう言った。

 深夜割増の時間帯に入ったばかりの午後10時過ぎに、客として山中のタクシーに乗ったことがある。彼が北光の運転手になって四か月ほど過ぎた日だった。

 公休が2日続いた初日は土曜日で、新宿での用事と食事を済ませた私は、どうせタクシーで家まで帰るなら北光のクルマでと考えた。長く暮らした新宿の住まいをしばらく前に引き払った私は、北光自動車交通まで歩いて通える距離にあるアパートに引っ越しを済ませていたのだ。会社に電話をすると「はい、北光自動車です」と応対にでたこの夜の当直者は、電話の相手が自分のところの運転手とわかったとたん「お前か」みたいに露骨に声の調子を落とし、「なんだよ」ときた。それでなくたって週末の夜は、車内に携帯電話を落としたらしいだの財布が落ちていなかったかだの運転手の態度が悪かっただのと客からの問い合わせがひっきりなしなものだから、当直者のご機嫌はよろしくないらしい。彼は「よけいな仕事をさせてくれるな」とでも言いたげなところを「近くにいるうちのクルマを行かせる」に代えて早々に電話を切っている。

「土曜の夜だし、忙しいんじゃないですか」とタクシー事情を知らない客から尋ねられるのはしばしばだけれど、バブルの崩壊からこっち〝忙しい金曜・土曜〟なんて、12月を別にすればめったにあるもんじゃない。公休のこの日にしたってそうだ。靖国通り沿いには、いつものように赤い空車ランプを光らせたタクシーがずらっと並んでいる。運がよければ客がすぐに顔をだすこともあるけれど、たいていは30分待ちを覚悟の付け待ちである。まだ10時だし、待ったところで乗ってくる客の行き先は近場だと運転手は百も承知だが、流してみても客が見つからないというのもまた百も承知での付け待ちなのだ。走り抜けて行く多くがタクシーではあるにしても、靖国通りからクルマの流れが途切れることだけは決してないし、歌舞伎町から人の姿が消えてなくなることもない。ビルのてっぺんまで飾る色とりどりのネオンサインが街中で輝き、「不夜城」が陳腐な言いまわしに聞こえるとしても、この街は、やっぱり不夜城という言葉がよく似合うとつくづく思う。その不夜城に足りないものがあるとすれば、タクシーの客だ。私もここでの付け待ちの経験は何度もある。歌舞伎町のどこからか押しだされてきた人の流れは、支流を飲み込んで大きな川になり、靖国通りにでる頃には同じ方向に向かって歩く大集団になっている。いつまで眺めていてもキリがないその繰り返し。勘だが、歌舞伎町に一歩踏み込んだ先には、時空が歪んだ歌舞伎町トライアングルが、たぶんある。そうでなければ、この街に、これほど大勢の大人たちを飲み込むスペースがあるわけがない。行方不明のゼロ戦や100年前に太平洋で消息を絶った豪華客船を横目に、トライアングルと現実世界が溶け合う靖国通りまで戻ってきた人の群れは、赤ランプを光らせて待つタクシーには目もくれず、信号が青になるのを待って新宿駅へと向かって歩きだす。ましてや歌舞伎町の入り口から少し離れた3丁目の交差点付近ならなおさらだ。靖国通りも明治通りも人の姿はぐっと減り、空車のタクシーの登場を待ちわびている人などただのひとりもいやしない。日車営収は、本当に4万5000円まで戻ったんだろうか。不景気なんだな、の言葉が頭に浮かんだ。この状況を居酒屋さんの従業員に言わせれば、大勢の客で賑わっているのは、安く飲み食いできて終電に乗り遅れる心配がない「新宿駅の近くにあるチェーン店の飲み屋ばかり」となる。

 待ち合わせた新宿3丁目の交差点横に我が社の4社カラーのクラウンが現れたのは、不機嫌な当直者に電話をしてからちょうど20分後のことだった。助手席側の窓を開け、左手をあげて合図をくれたのは山中修だった。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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