2021.1.26
友だちの記憶に残る阪神・淡路大震災の体験が、私の心にもほろ苦く刻まれる理由
よりによってなんで、今日バリウムなんだよ……
学食でその話を聞いた時から月日が経ち、東京・渋谷にあるオフィスビルの上階で仕事をしていた私は、大きな揺れに怯えながら机の下に上半身を突っ込んでいた。
2011年3月11日の14時46分頃、東日本大震災が発生し、東京も震度5弱の揺れに襲われた。
私のいたオフィス内では棚が倒れて書類が散乱し、社員各自の机の上もめちゃくちゃになっていた。余震が立て続けに起こる中、みな会社の外に避難することになり、結局その日はそのまま解散となった。
東京ではほぼすべての交通機関がストップしていたから、多くの人が「どうやって自宅を目指すか」という問題に直面していたはずだが、実は私はもう一つ大きな不安を抱えていた。その日の午前中、私は会社の指定する病院で健康診断を受けていたのだが、検査項目の中に胃の内部を調べるためのバリウム検査があった。
白くてドロドロしたバリウムという液体を飲み、それで胃の中の細密な状況をレントゲンに撮るという検査なのだが、そのバリウム、検査後は速やかに体外に排出しなければならない物質なのだ。レントゲンを撮り終えるとすぐに下剤を手渡され、「すぐにこれを飲んで、便意を催したらどんどんトイレに行ってください」と言われていた。
指示に従って下剤を飲み、会社に戻って一休みしたところで東日本大震災が起きた。各自帰宅せよとの指令が出るも、交通機関はストップ。さすがの渋谷でも見たこともないほど大勢の人が道路をソロゾロと歩く中で、徒歩で帰宅する私の腹はギュルギュル鳴り出しているのだ。
大変な状況の中でも営業を続けてくれていたコンビニでトイレを借り、またしばらく歩いて次のコンビニでトイレを借りる。もちろん中には貸してくれないところもあるから、「ヤバい!」という段階になる前にトイレを確保する必要がある。腹部を手で押さえ、背を丸めるような姿勢で騒然とする渋谷を歩きながら、「よりによってなんで今日バリウムなんだよ」とちょっと笑ってしまいそうになった。
未曾有の事態のもと起きた、ささいな出来事や状況の存在も忘れずにいたい
これもまた、東北地方で大きな被害に遭われた方々(東北には私の親戚もたくさんいる)の経験したことと比べたら、本当にどうでもいいような話だ。不快に思われる方がいたら申し訳ないと思う。
しかし、地震や津波や台風など大きなことが起こった時、後になったら忘れられてしまうようなささいな苦しみや悲しみや、時には滑稽な状況だってあちこちで起きているはずなのである。そしてそれはそれで当人にとってはずっと記憶に残る体験なのだ。
私はできればそこへも目を向け続けていたい。
後世の人が知ろうとする震災の全容からはこぼれ落ちてしまうであろうどうでもいい話の存在を忘れずにいたいと、そう思いながら改めて腹をさすってみるのだ。
(了)