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スズキナオ「この世の隅っこの「むう」な話」
ふとした会話が、表情が、何気ない何かがずっと頭に残って離れない……そこで湧き上がる気持ちをスズキナオさんはこう表現することにした。「むう」と。この世の片隅で生まれる、驚愕とも感動とも感銘ともまったく縁遠い「むう」な話たち。

「たられば」という言葉もあるけれど、もしもあの時こうだったら? あの時こうしてれば? 自分が気づいていないだけで、人の人生なんてちょっとした出来事で思わぬ方向に向かっているのかもしれない。

あの時、見知らぬあの駅までたどり着けていたら人生は変わっていたかもしれない

マンガに囲まれて育ち、マンガ好きに育ち、マンガを描いてみたくなった

友人のMさんから聞いた話である。
Mさんの母はマンガ家だった。家の本棚には幅広いジャンルのマンガが揃っており、幼い頃からそれに触れていたせいか、Mさんもマンガ好きに育っていった。

そのうちMさんは親をマネしてマンガやイラストを描くようになった。マンガ家に憧れ、小学生の頃から少女漫画の新人賞等に応募していたという。残念ながらそれが入選したりということはなかったが、絵を描いたりストーリーを考えることはずっと好きなままで育っていった。

Mさんの母は仕事としてマンガを描くだけでなく、同人活動もしていた。同人誌やグッズを自主制作し、即売会で販売したり交換したりする。家にはお母さんの同人サークルの仲間たちがたびたび集まってはみんなでマンガを描いていた。そうやってできあがった同人誌も家にたくさん置かれていて、Mさんはそれを日常的に読んでいたという。本屋さんで見かける有名なマンガ誌以外に、自分たちだけで作るマンガの世界もあるんだと、Mさんは早くからそういうことを知っていた。

中学生になった頃、Mさんは自分も同人誌を作ったりしてみたいと思うようになった。学校には「マンガ部」というクラブがあり、そこに所属してみると、先輩たちがすでに自分の母のように同人活動をしていることがわかった。その頃はインターネットの普及によって二次創作の世界が一気に身近になりつつあった時期だったという。2000年代の初頭のことだ。

商業誌と同人誌といっても千差万別、いろいろなパターンが
商業誌と同人誌といっても千差万別、いろいろなパターンが

Mさんは大阪府枚方ひらかた市の出身なのだが、枚方市の樟葉くずはという町には「アートセンターハヤカワ」という画材店があり、そこで年に数回、同人誌の即売イベントが開催されていた。今思えば小規模な即売会ではあったが、500円という参加費を払えば自分のブースを出すことができ、自分が描いた同人誌やイラストを販売したり、同じ好みの仲間と出会うこともできる。先輩たちから聞いてそのイベントのことを知ったMさんは、すぐにそこに参加してみたくなった。

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スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。
WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。
著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ"お酒』など。
Twitter●@chimidoro

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