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スズキナオ「この世の隅っこの「むう」な話」
ふとした会話が、表情が、何気ない何かがずっと頭に残って離れない……そこで湧き上がる気持ちをスズキナオさんはこう表現することにした。「むう」と。この世の片隅で生まれる、驚愕とも感動とも感銘ともまったく縁遠い「むう」な話たち。

今のコロナ禍もそうだが、世界は時々、未曾有の事態に直面する。神戸で、東北で、起きた大地震も間違いなくそれにあたるだろう。たくさんの被害と悲しみの中、こんな話もあることをナオさんは真摯な気持ちで記します。

友だちの記憶に残る阪神・淡路大震災の体験が、私の心にもほろ苦く刻まれる理由

神戸で生きてきた人たちそれぞれの歴史に、あの震災は当たり前に深く刻まれている

神戸の飲食店を取材させてもらうことがたまにある。お店の歴史について聞いていると、震災の話になることが多い。こちらが震災のことをたずねたわけではなくても、神戸の町の歴史を振り返るなら必ず震災の話に触れざるを得えない、という感じだ。ここで生きてきた人にとって、それは当然のことなのだ。

昔からあった店舗が震災によって倒壊し、小さな敷地に移転して営業を再開したというお店もあった。自分のお店はなんとか無事だったが、懇意にしていた近隣の商売仲間が震災の被害をきっかけに遠くに引っ越してしまったという話。震災によって様々なものを失い、その前後で仕事の仕方や価値観が大きく変わってしまったという話も耳にした。
私は神戸が好きで、大阪から出かけては居心地のいい酒場で楽しくお酒を飲んでいるが、震災の話が聞こえてくると途端にピシッと姿勢を正されるような気になる。

1995年1月17日起きた阪神・淡路大震災のことを、当時高校生だった私は東京の実家のテレビで見て知った。阪神高速道路が大きく横倒しになっている映像が流れるのを目にして「大変なことになった」と思いはしたし、その後も連日の報道から状況を詳しく知ろうとはしたが、結局はそこまでである。まさか後になって神戸に頻繁に足を運ぶ生活を送ることになるとは思ってもみなかった当時の私は、行ったことのない神戸の町の惨状を、どこか遠い場所の出来事としてしか認識できていなかったのだろう。

それから数年経って大学生になり、兵庫県出身の友人ができた。学食でその友人と話していて、ふと震災の話が出た時があった。私にとっては、それがあの震災を実際に経験した人から直接聞く初めての言葉だった。その友人が最初に語って聞かせてくれたのは、彼の同級生の話だ。

きっかけは学食での他愛もない話だったが
きっかけは学食での他愛もない話だったが

彼女は欲しいし、キスやら何やらに興味津々の男子高校生たち

友人の実家は兵庫県西宮市にある。1995年当時、彼は高校2年生だった。震災が起こる前日、仲のいいクラスメイト数人と、そのうちの一人の部屋に集まってゲームをしたりマンガを読んだり、そんな風にダラダラと過ごしていたらしい。狭い空間に男子数名が集まり、年頃ということもあって自然と異性に関する話題になった。

彼女が欲しい。そして彼女と手をつないだりキスをしたりして、まだ未知のものである初体験まで早く漕ぎつけたい。と、そんな話が始まった。その部屋に集まった数人はまだ誰もセックスというものを経験したことがなく、とにかく興味と妄想が果てしなく膨らんでいるような状況だったそうだ。私もそうだったので、気持ちが痛いほどわかる。

「する時にはな、コンドームをつけなあかんぞ」と誰かが言った。「そやで」「そんなん知ってるわ」「あれ、結構難しいらしいぞ。コツあるらしい」「え、練習しとかな」と、そんな風に会話が続いたそうである。

夜がきてその会がお開きとなり、各自が自宅へと帰っていった。同級生はまっすぐに自宅に帰らず、近所の薬局に立ち寄った。薬局の脇にコンドームの自販機があるのを知っていて、それを買って帰るのが目的だったからだ。

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スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。
WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。
著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ"お酒』など。
Twitter●@chimidoro

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