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洋式トイレの便座を上げ、便器のふちに両足を乗せて用を足す人は結構いるものなのだろうか

ふとした会話が、表情が、何気ない何かがずっと頭に残って離れない……そこで湧き上がる気持ちをスズキナオさんはこう表現することにした。「むう」と。この世の片隅で生まれる、驚愕とも感動とも感銘ともまったく縁遠い「むう」な話たち。 たかがトイレ、されどトイレ……毎日どころか日に何度もお世話になる空間では、密かに人それぞれのドラマが繰り広げられている。 あなたはトイレをどんな風に使ってますか?

洋式のトイレになかなか馴染むことのできなかった自分

私は1979年生まれで、物心がついた頃は和式トイレの方が主流だった。今の時代、駅でもデパートでも、トイレに入ったらほとんどが洋式になっている。和式トイレで用を足したことがないという人も多くなってきているかもしれない。ちなみに俗に“洋式”と呼ばれているあのトイレ、正確には「腰掛水洗便器」というそうだ。

日本国内で洋式トイレが普及し始めたのは1960年代。日本住宅公団が建設する団地に標準設備として洋式トイレが取り付けられたことによって一気に広まっていったという。1970年代の後半~1980年代の初めにはすでに洋式トイレの出荷数が和式トイレを超えていたそうだから、「幼い頃はまだまだ和式トイレの時代だった」と私が記憶しているのは自分のまわりの環境がたまたまそうだっただけで、時代としてはすでに洋式トイレの方が当たり前だったのかもしれない。

しかし、とにかく私が幼い頃に過ごした家のトイレは思いっきり和式スタイルで、私はそれに慣れ親しんで成長していった。便器にまたがっていると、低い位置にある小窓にはめられた曇りガラスを通して外の光が入り込んでいるのが見える。用を足しながらいつもそれをぼーっと眺めていた記憶がある。

1980年代の中頃になり、わが家が木造家屋からマンションへと引っ越すことになった。
新しい住まいのトイレは洋式である。しかし、初めて出会ったトイレが和式だった私はニュースタイルに馴染むことができなかった。試しに便座に腰をおろしてみても、力の入れようがまったくわからないのだ。便座に触れたお尻がヒヤッとするあの感じも好きになれなかった。

昭和前半の一般家庭の和式トイレは概ねこんな感じであった
昭和前半の一般家庭の和式トイレは概ねこんな感じであった

そこで、大便時に限り、洋式トイレでも和式の使い方を貫くことにした。
“ことにした”というか、そうしなければ用が足せないのだから仕方ない。具体的な流れとしては、洋式トイレの便座を上げ、バランスに気をつけながら便器のふちに両足を乗せて立ち、しゃがみ込む――という感じである。

通常、洋式トイレを使用する際は水洗タンクを背にして腰かけることになると思うのだが、私の場合はタンクと向かい合い、そこにつかまってバランスを維持することになる。もちろんそれが誤った使用法であることはわかっていて、「こんなことを続けていてはいけない」とは思うのだが、背に腹は代えられない。洋式トイレに和のポージングを持ち込んだ「和洋折衷スタイル」で用を足し続けていた。

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スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。
WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。
著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ"お酒』など。
Twitter●@chimidoro

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