2026.6.24
「それは私でも楽しめますか?」質問箱で実感する教養主義の退潮【こんな質問が来る 第9回】
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「あなた達はあなたの傷を教えてください」
どんなジャンルにおいても、そこでの教養とは知らない者同士をつなぐ共通の地図であった。とはいえ、今やその地図はしおしおにしなびてしまって、みんながそれぞれ、そのつど「私も楽しめる」作品に反応しながら行ったり来たりしている。現在地もバラバラであれば、向いている方向もバラバラである。たまにふと何かのレールに乗って、ここよりもっと遠くへ行きたい……と漠然と思う人がいても、古びた地図はもはや方位も定かではない。
そんな荒野の真ん中に座り込んで映画を観ながらひとりではしゃいでいると、通りすがりの誰かが立ち止まって、ふと尋ねる。「それは私でも楽しめますか?」と。
そんなとき、僕がその人にとっての正解にたどり着くためには、それぞれのジャンルごとに共有された地図が用意されていた時代よりもはるかに多くの情報が必要になる。記号的ではない、固有で生々しく有機的な情報。つまり、その人自身の人となりと来し方、そして現在地である。どうしたって、いったんこの荒野の真ん中に一緒に腰を下ろして、ゆっくりその人の話を聞く必要があるのだ。
ここまで整理すると、ようやく腑に落ちてきた。
この「それは私でも楽しめますか?」という質問に、僕が何年経ってもキレ散らかしているのは、それが失礼だからでも、丸投げだからでもなかったのだ(いや、丸投げではあるかもしれない)。ただ、何より、そこから始めなくてはならない会話を始めるすべがないということだったのだろう。
透明な問いだけが、ぽつんと投げ込まれる。僕はいつも、始まるはずだったのに始まらないまま終わった会話の入り口に取り残されて、地団駄を踏んでいたのである。しかし、ここは匿名の質問箱。一体、どうすればいいんだろう。
そこで僕はこんなことを言ってみた。
「じゃあ、僕は映画の名前を教えるから、あなた達はあなたの傷を教えてください」
友達はみんな感動して泣いていたのに自分だけぜんぜん面白くなかった映画、観たあとに体調を崩して寝込んだ映画、シャンプーしているときに急に思い出して叫び声を上げてしまう恥ずかしい記憶、昔の恋人のうかつなひとこと、タイムマシンがあれば真っ先に謝りに行きたい人、今だからこそ許してあげたい自分の失敗と今でもどうしても許せないあいつ。
なんでもいい。あなたの傷と映画の名前を交換しよう、と言ってみたのである。別に癒しや解決を約束するわけではないし、期待もされていない。荒野で行き合ったふたりがたまたま同じベンチに腰を下ろした。ただそれだけである。むしろ匿名だからこそ可能な取り引きだろう。
とくに深い考えもない思いつきだったが、存外に多くの人が集まってきて、とても個人的な思い出を投げ込み始めた。僕はその思い出には一言も触れず、なんとなく適当に思いついた映画の名前だけ、ぽんぽんと答え続けた。透明な人々が透明なまま、たくさんの思い出を投げ入れていった。まるで20世紀の深夜ラジオのような景色だった。
その夜はたくさんの傷が集まった。
いくつかをここに書こうとも思ったが、きっとあれはあの夜のことだけにしておいた方がよいだろう。
いつか、『狂い咲きサンダーロード』の仁さんが僕らの生きざまを見たらなんて言うだろうか、きっと叱られるかな、などと語り合って、そのあとみんなで一緒に『ロッキー・ホラー・ショー』のタイムワープを踊ろう。
おい、目をそらすな。あなたに言ってるんだ。その日までに『ロッキー・ホラー・ショー』を20回見ておいてね。いいね。約束だよ。約束だっつってんだろ。20回だからね。
次回連載第10回は7/22(水)公開予定です。
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