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神秘、自由、孤独や幻想…時代とともに移り変わる闇と夜の描かれ方 第9回 絵画の中の夜

 それに対し、アルブレヒト・アルトドルファーの〈キリストの降誕〉(一五一一年頃)で目を引きつけるのは、空を大きく占める奇妙な天体であった。奇跡の舞台となる馬小屋は、壁が所どころ崩れ落ちて柱や梁が剥き出しとなり、草が生い茂ってあばら家のような外観を見せる。降誕の場面は、わずかその一隅に置かれているに過ぎない。三人の天使たちが広げる白い布の上に、幼児キリストが横たわっている。それを見守るのは、青い衣の聖母と赤い衣に身を包むヨセフ、二人の陰に佇む驢馬であった。ここでも幼子の身体から光がこぼれているが、前の二作のように画面の中心を占めることはない。この情景を照らすのは、夜空に浮かぶ二つの光源である。一つは、馬小屋の上の雲の裂け目である。そこから光がこぼれると同時に、黄金の光に満ちた天上世界を垣間見せていた。そしてもう一つが、空に浮かぶ大きな円盤状の光のかさなのだ。聖書の記述から、これはベツレヘムの星だと見当がつくだろう。この星に導かれ、東方三博士は馬小屋にたどり着き、キリストの誕生を祝うのである。その聖性を暗示しているからだろうか。この天体の光は非常に明るく、サーチライトで照らし出されたように画面全体が金色の光に浸り、夜の情景とは思えないほど草木や馬小屋などが細部まで金属的にぎらついているのだ。しかし、大きさや光量の点から、星を描写するにあたって、観察に基づく写実性よりも物語の神秘性を重視したのだろう。ここでもまだスクロヴェーニ家礼拝堂の天井画と同じく、星は夜を示す記号性も帯びてはいるが、アルトドルファーはそこに象徴的な意味を与えたのである。

アルブレヒト・アルトドルファー 〈キリストの降誕〉1511年頃 ドイツ、ベルリン〔ベルリン国立美術館〕
アルブレヒト・アルトドルファー 〈キリストの降誕〉1511年頃 ドイツ、ベルリン〔ベルリン国立美術館〕
〈キリストの降誕〉(1)顔を出す驢馬(2)幼児キリスト(3)空に浮かぶ大きな光の暈
〈キリストの降誕〉(1)顔を出す驢馬(2)幼児キリスト(3)空に浮かぶ大きな光の暈

 十七世紀バロック絵画以降、光と影の効果は大きな発展を遂げ、暗闇や夜の描写が増えてくるようになる。そこで主に使われるようになったのが、蝋燭の光であった。その陰影がもたらす効果は大きく、温かく親密な空間を生み出す一方で、密やかな孤独の気配を漂わせたりもする。例えば、オランダ黄金時代の画家ヘラルト・ダウの〈蝋燭の灯りのもとの天文学者〉(一六五〇年代後半)は、夜遅く蝋燭を片手に書物に読みふける若い男性を描いた作品である。当時のオランダの上級市民の装いをした天文学者は、コンパスを持った手で天球儀を抱え込んでいる。彼が屈みこむ机には、書物や砂時計、水の入ったフラスコなど、ヴァニタス絵画に見られる典型的な要素が並ぶ。十七世紀、天文学はまだ魔術的なイメージを帯びつつも、自然科学の領域とみなされていた。天文学者の背後もまた蝋燭で仄かに照らされ、空間の広がりが暗示されている。窓を思わせる画面構成は、ダウの作品に幾つも見られるが、このおかげで部屋から漏れる灯りと内に広がる光景をちらりと目撃したような感覚を得るだろう。この頃は夜の仕事が純粋に勤勉さを表していたために、天文学者も彼の部屋も魔術的な印象は取り払われている。

ヘラルト・ダウ〈蝋燭の灯りのもとの天文学者〉1650年代後半 アメリカ、ロサンジェルス〔ゲッティ美術館〕
ヘラルト・ダウ〈蝋燭の灯りのもとの天文学者〉1650年代後半 アメリカ、ロサンジェルス〔ゲッティ美術館〕
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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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