2022.12.22
美術史上初の静物の描き手、カラヴァッジョが絵の中に込めたものとは 第4回 失われゆくもの、移ろうものの表現者たち
カラヴァッジョが描く世俗的快楽の虚しさ
その一方で、十五―十六世紀イタリアの画家カラヴァッジョの〈果物籠〉(一五九六年)は、美術史上最初に描かれた静物画であった。木の台の上に、枝葉がついたままの林檎や葡萄、レモンの盛られた籐の籠が載せられている。無地の背景を覆う茶や黄などが入り交じった色合いは、柔らかな日差しの温もりを醸し出している。果物籠というモチーフは、ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている、同じカラヴァッジョの〈エマオの晩餐〉(一六〇一年)でも用いられていた。この絵画と同じく、〈果物籠〉の籐籠も木の台からわずかにはみ出すように置かれているのが分かる。この奇妙な置き方によって画面の外、鑑賞者のいる現実の方にも籠がせり出していると感じられるだろう。同時に、この不安定な配置のために、籠はいつ転落してもおかしくはない状態なのだ。これによって、果物籠そのものが脆く儚いものであることを表そうとしたのかもしれない。そして、一般的に静物画が一瞬を切り取り、完璧に静止した姿を留めたものであるのに対し、〈果物籠〉は時間の流れすらも描き切っているかのように見えるだろう。籠の中にあるのは、瑞々しく艶やかな果物ばかりではない。枯れかけた枝葉や、虫食いの跡がはっきりと残る果実まであった。新鮮で美しい色艶を浮かべた果実は好んで描かれるが、カラヴァッジョは醜さや腐敗の表現をも、その冷静な観察眼のもとで再現したのである。西欧絵画において、林檎はアダムとエヴァが口にした知恵の樹の実と結びつけられる。虫に食われた林檎は腐敗のみならず、人間の退廃というキリスト教的な意味も重ねられているのだ。また、熟した葡萄の実一つ一つが輝きを放っているのに対し、葉は水気を失い枯れかけている。この生命力の落差は、カラヴァッジョの〈病めるバッカス〉(一五九五年頃)でも見ることができる。葡萄酒の神バッカスが頭部に戴く葡萄の葉の冠には、青々とした葉と共に黄ばんで枯れかけた葉が交じっており、バッカスの土気色の肌と相まって病の印象を強めていた。果物もまた、「ヴァニタス」の典型的なモチーフである。甘く腐りやすい上に、味覚という感覚的な喜びを満たすものという意味合いから、世俗的な快楽の虚しさを表しているのだ。
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