2022.9.29
注文したのは私……「俗」が聖なる場面に放たれるとき 第1回 絵画空間に置かれた「自分」—寄進者の肖像
祭壇画の注文主を知る手掛かりは
華やかな空間における聖俗の邂逅に対し、ロベルト・カンピンとその工房による〈メロードの祭壇画〉(一四二八年)は、十五世紀の市民生活にみられる聖を描いた三連祭壇画である。受胎告知の場面となる中央パネルが表しているのは、裕福な市民階級の家庭の情景であった。赤い服をまとう聖母マリアは、床に腰を下ろし書物を開いている。そばの長椅子よりも低い位置に座るその姿は、謙譲の聖母という主題を表すものであった。天使ガブリエルの頭上、窓から差し込む光の中をマリアへと降臨するキリストの小さな姿が描かれている。これは受胎を表すと同時に、キリストが抱く十字架によって来るべき受難をも暗示しているのだ。そして、この家庭的な空間に配置された小道具もまた、象徴的な意味を帯びていた。円卓に置かれた巻物は旧約聖書、聖母が読む書物は新約聖書と考えられており、そこに記された預言がキリストというかたちで成就することを示している。さらに、花瓶の百合や純白の布、真鍮の水甕は聖母の純潔を、火の消えた蝋燭は受胎の瞬間を表している。
受胎告知を描いた祭壇画に、通常はマリアの夫となるヨセフは登場しない。しかし、この右翼部には、大工であるヨセフが一心不乱に制作に打ち込んでいる様子が描かれている。聖書の人物でありながら、ヨセフの装いは十五世紀の大工のものであった。そして、机や窓の外に置かれたねずみ捕りは、悪魔に打ち勝つためにキリストが払う犠牲を表している。
この祭壇画の注文主を知る手掛かりは、中央パネルの窓に刻まれた紋章にある。左翼部の半開きの扉を前に跪いているのが、メヘレンの裕福な商人である寄進者夫婦であった。この夫妻の従者らしき人影もまた、門のそばに敬虔に佇んでいる。財布を腰に下げた黒服の夫は帽子を、妻はロザリオを手にとり、画面右側の扉越しに、受胎告知が行われている室内情景に立ち会っているのだ。この寄進者夫婦は幻視された聖なる場面に介入することなく、目撃者として祈りを捧げている。中央画面と左翼の連結部に描かれた扉は、そのまま聖と俗という二つの情景の境界でもあるのだ。
〈メロードの祭壇画〉の聖俗の関係は、三つのパネルに組み込まれた背景表現からも窺えるようになっている。画面奥の窓から空が覗く中央パネルが天に最も近い聖域であり、やや俯瞰した街の光景が窓の外に広がる右翼は、地上と天のあわいにあること、そして奥のアーチ越しに見える左翼の街並みは地上に属することを表す仕掛けなのだろう。その一方で、聖域へと続く扉は、聖俗空間の一時的な繋がりを示すものだが、そこに差し込まれた鍵によって、寄進者の敬虔さを通した幻視という奇跡もまた語られているに違いない。
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