よみタイ

加門七海「着物憑き」
あの世とこの世のあわい。
幼いころからそれを感じ取る加門氏は、
ここ数年で、着物を身にまとう機会が増えた。
それは「夢中」を通り越し、まるでなにかに
「取り憑かれた」かのように……。
着物をめぐる、怪しく不思議なエッセイ。

帯(二)

 ……いつもながら、話が大きく逸れてしまった。
 帯は最初から体に巻くものとして存在する。そのために蛇となり、同様に長い布である一反の布や織り掛けの反物も巻きつき、また蛇と化す。
 まったくシンプルな想像だ。
 しかし石燕が「蛇帯」にて記した「女の三重の帯は、七重にまはる毒蛇とも」云々という語句は解せない。
 美空ひばりの「みだれ髪」にも「春は二重に巻いた帯 三重に巻いても余る秋」との歌詞が出てくるが、着物を着る人ならば皆、大袈裟すぎると思うだろう。
 三重に巻いて余るなら、最早、骨しか残っていまい。もしや、これこそ怪談なのか。
 たとえ袋帯であっても三重に巻いて余ることはないし、そんな太巻きみたいに巻いたら、結んで形も作れない上、鬱陶しいことこの上ない。
 恋に窶れた女を表す慣用句として、帯が三重に回るという定型表現があるのだろうか……。
 帯の長さは大体のところ決まっている。
 男性用は置いておくとして、丸帯と袋帯は四メートル三十センチ前後、名古屋帯は三メートル六十センチ前後。幅は共に八寸つまり約三十・四センチメートルだ。
 江戸時代以前の帯は、今の半幅帯より細かった。それが髪型にボリュームが出るにつれ、帯も太く長く、豪華になっていったのだ。
 ゆえに現代の髪型ならば、細帯に直したほうがバランスがいい気もするのだが、帯の形状に変化はない。
 結び方も随分変わった。元々はただの紐だったため、昔の帯は前で結んだ。その幅が広くなり、動きづらくなったのだろう。帯の結び目は背中に回った。
 だが、背中に回っても、結び方は今とは異なる。
 現在、スタンダードとなっているお太鼓結びが出てきたのは、幕末に東京亀戸天神の太鼓橋が再建したときだ。渡り初めをした深川芸者が、橋の形に似せて結んだのがお太鼓結びの始まりだ。それが流行って、あっという間に日本全国に広がっていった。
 伝統衣装とされる着物でも、近年まで色々と変化している。
 丸帯は今ではあまり見ないが、一番格の高い帯とされている。
 現代では礼装用として留袖や婚礼衣装に用いられるほか、舞妓や芸妓の出の装いにも使われている。
 丸帯は幅約六十八センチの紋織りの生地を、二つ折りにして仕立てたものだ。
 長さは袋帯よりは少し短め。総柄のため、どのような結び方をしても柄が表に出るのだが、物によっては重さが三キロ近くにもなる。素人の手に負えるものではない。
 以前、私は軽めの丸帯を手に入れたことがあるのだが、巻くのはともかく、後ろ手で結ぶのに汗だくになり、手がるほど苦労した。
「昔の人はそんなに体が柔らかくて、力があったのか」
 知人にぼやくと、笑われた。
「丸帯はお手伝いさんが着付けをしてくれるようなお嬢様や、男衆が締めてくれる舞妓さんとかが使うのよ。ひとりで結ばなきゃならない人が着けるものじゃないのよね」
 ……お手伝いさんも雇えない身分で悪かったわねえ。
 つい僻んでしまったが、知人の言葉は真実だろう。
 アンティークの袋帯でも、似た苦労をするものがある。
「引き抜き」という方法でしか柄が出ないタイプの帯だ。
 引き抜きとは、帯を結ぶとき垂れ先をすべて抜ききらず、袋状にして垂れを残す方法だ。
 文章ではうまく伝わらないので、興味のある方は別に調べて頂きたいが、この帯を普通に結んでしまった場合、お太鼓となる部分の柄が上下逆になってしまうのだ。
 これをひとりで綺麗に結ぶには、大きな三面鏡がなければできない。いや、三面鏡があってもよくわからない。
 どこまで柄が出ているんだ? 垂れの長さはどうなっているんだ? なんだか帯が緩んできたぞ……と。
 仕方ないので、最近は帯を前で整えて、背中に回すことにしている。
 お手伝いさんを雇えないとハードルの高い帯が、アンティークではまま存在する。
 だが、こういう帯ほど美しいし、見事なものが多いのも確かだ。締めにくいというだけの理由で諦めてしまうのはもったいない。
 死蔵するよりは、普通の袋帯に直したり、名古屋帯に加工して用いるのもひとつの手だろう。
 袋帯は丸帯の代わりに礼装用として出てきたものだ。
 その名のとおり、袋状に織られた「本袋」と呼ばれるものと、裏表二枚を縫い合わせた「縫い袋」の二種類がある(最近はほとんど縫い袋)。いずれも裏は無地が多い。
 丸帯の軽装版として普及したとの話だが、実は江戸時代には、縫い袋同様の仕立てをしたちゅう帯というものが存在していた。
 明治頃まで庶民の間で流行った帯で、表と裏を異なる布で仕立てている。片面にくろじゅが用いられることが多いため、昼と夜の景色に喩えて昼夜帯との名がついた。鯨帯、腹合わせ帯との別名もある。
 名前も物もなかなか風情のあるもので、好きな物のひとつだが、袋帯が出てきて姿を消した。
 ゆえに私は丸帯が袋帯に代わっただけでなく、昼夜帯も袋帯に吸収されていったのではないかと想像している。
 但し、帯全体に柄がある「全通ぜんつう」の袋帯は、丸帯同様の重量がある。ちなみに家にある袋帯で一番重いものは、一・五キロほどあった。これもまた、締めるのに苦労する……。
 袋帯は一般的に二重太鼓という結び方をするが、名古屋帯は短いため、一重のお太鼓となる。
 袋帯と名古屋帯、これら二種類の帯は共に大正末期に出現した。
 名古屋帯は名のとおり、名古屋女学校(現在の名古屋女子大学)創立者である越原春子によって考案された。袋帯より軽くて結びやすいこの帯は、これまた瞬く間に全国に広がった。
 この発明について、一般の解説書では和服の軽装化簡略化の流れによって考案されたとある。けれど、たまたま越原氏の縁者に会う機会を得て伺ったところ、帯に相応しい布がなくなってきたために考えられたものという。
 なるほど。
 名古屋帯は短いし、裏地も一部省略できる。丸帯を改造すれば、名古屋帯は二本取れ、当然、値段も安くなる。
 窮すれば通ずの典型だ。
 もしかすると、袋帯も似たような理由で登場したのかも知れない。
 大正末期は、帯にとってのエポックと言っていいだろう。
 そして、ほぼ同じ時代に、もうひとつのエポックをふたりの男が作り出す。
 道明新兵衛と龍村平藏だ。(つづく)

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

関連記事

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

加門七海

かもん・ななみ●東京都生まれ。多摩美術大学院修了。学芸員として美術館に勤務。1992年『人丸調伏令』で小説家デビュー。日本古来の呪術・風水・民俗学などに造詣が深く、小説やエッセイなどさまざまな分野で活躍している。ひとり百物語を特技とするほど、豊富な心霊体験を持つ。また、オカルト・ルポルタージュでも注目を集めている。著書にエッセイ『うわさの神仏』『うわさの人物』『猫怪々』『お祓い日和 その作法と実践』『鍛える聖地』『大江戸魔方陣』『もののけ物語』『たてもの怪談』、小説に『祝山』『目嚢』など多数。

週間ランキング 今読まれているホットな記事